エルサレムで主夫はじめました

~~~~~~~~ 30年間のサラリーマン生活から早期退職をして、イスラエルのエルサレムに家族で住み、主夫をはじめました。 ~~~~~~~~~~~~~~インターナショナルスクールに通う子供たちの様子、イスラエルとパレスチナの日常、主夫の心境などをつづります。 内藤 徹~~~~~

【つぶやき1】コロナのころに いったりきたり

コロナのころに いったりきたり

 

急に学校 休みになって

どうすりゃいいのか あたふたしたり

 

緊急事態も 宣言されて

無理やり家で 仕事をしたり

 

コロナのころに いったりきたり

 

出かけていいのか いけないのかと

マスクをしながら 近所をうろうろ

 

あわててパスタや 消毒買ったり

マスクを探して いったりきたり

 

コロナのころに いったりきたり

 

もともと疎い 病気の話

ネットの中で いったりきたり

 

感染力だの ウィルスだのと

分からないなり 勉強したり

 

 コロナのころに いったりきたり

 

なんで検査を やらないの?

いやいや検査で 医療崩壊

 

マスクは効くとか 効かぬとか

話してた頃が 懐かしい

 

 コロナのころに いったりきたり

 

家族でずっと 家におこもり

食べることは 止められない

 

スーパー コンビニ 行ったり来たり

はじめてウーバー 使ってみたり

 

 コロナのころに いったりきたり

 

30万から 10万円に

国の政治も いったりきたり

 

なんでマスクを 2枚なの?

そういう話も めんどくさい?

 

 コロナのころに いったりきたり

 

ニュースを聞いて 追いつかなきゃと

結局スマホで 一日終わる

 

ちょっとスマホは 脇におき

落ち着くゆとりを とらなきゃな

 

 コロナのころに いったりきたり

 

音楽聴いたり 書きものしたり

家のかたづけ はじめてみたり

 

自分の時間を 過ごしてみると

追われて焦って いたのに気付く

 

やらなきゃならい こともあるけど

ここらでちょっと ひと呼吸…

【コラム】イスラエルの教育:新型コロナという答えのない課題(教育新聞2020年4月11日掲載)

<多様な文化を受け入れるインターナショナルスクール>

エルサレムに住む我が家の小学5年と中学3年になる2人の子どもは、英国系のインターナショナルスクールに通っています。(現在、新型コロナウィルスの影響で一時帰国して、オンラインにて継続中)生徒は、ヨーロッパ、アジア、アメリカと地元の生徒が中心です。日本から来て1年半ほど経ちましたが、来る前に特別に英語教育をやってきたわけではないので、すべて英語で行われる授業についていくのは大変です。英語が苦手な子どもの対応に慣れた先生方と、特別プログラムのおかげで、どうにか頑張って学んでいます。

言葉とともに、子供たちにとって学校生活で戸惑うことは、日本と異なる文化です。例えば、学校には日本のような細かなルールがありません。小学3年でこちらに転校して来た娘は、当初は、「学校に○○を持って行っていいか?」とよく聞いてきました。日本の学校だと、例えば、「小学校低学年は、シャープペンシルは禁止ですよ」、といった細かなルールがあります。しかし、こちらの学校では最低限必要なものの説明や、スマホ持ち込みに関するルール以外の細かな指導はありません。

昼食も日本に比べて自由です。学校内に小中校共同の小さなカフェテリアがあり、そこで自分が食べたいものを選んで食べても良いです。家からお弁当を持ってきても構いません。食べる場所も自由です。みんなクラスの席に座って、同じものを食べて、食べ残さないように指導される、なんてことはありません。様々な国から来た子供たちが一緒に学んでいるので、文化や宗教が違えば、食べ物の好みも、食べられる物も違います。

 

<本質的な問いと、答えのない課題>

 国際バカロレア認定校なので、授業も日本の一般の学校とは異なる点が多いです。特に興味深いのは、子供たちに考えさせ、意見を言わせたり、書かせたりする授業が多いことです。

例えば、中学3年の息子は、「人体実験の是非についてみんなで議論をして、とても面白かった」と話していました。宗教と科学の関係について文章を読んで、プレゼンテーションを考えていることもありました。最近は、多文化主義や植民地政策について調べて、自分の意見を書く、という宿題をやっていました。英語では理解も表現にも限界があるので、「こういう勉強が日本で、日本語でできたら超面白いのになあ」とよく言っています。中学生という多感な時期に、科学、宗教、政治、倫理などに関する普遍的な内容について、子供なりに考え、意見をまとめる経験は、今後の人生において、本質的に物事を考える土台を作っていくものだと思います。

小学校5年の娘も、「学校の教室に監視カメラを置いた方が良いか、置かないほうが良いかについてみんなで考えて、一人ずつ発表をする授業があった」、と話していました。実際に、学校で監視カメラの設置について是非を検討しているそうです。そして、子供たちの発表を他の学年の生徒が聞いて、どちらが良いか手を挙げて投票をしたそうです。これは、実際の社会にある正解のない課題を、学校の中で考える授業といえるでしょう。

このような授業を受けた我が家の子供たちは、最初は先生が期待する答えがない授業に戸惑っていたようですが、徐々に面白がって授業に入り込んでいるようです。そして、大人が思っている以上に自分の意見を考えて表現できるようになってきています。

 

<新型コロナをしっかり学ぶ意義>

今、世界は新型コロナウィルスが巻き起こす答えのない問題に直面して、悪戦苦闘しています。子供たちも、学校に行けない中で、日常生活が今まで通り行えない状況と、メディアが伝える情報に不安を感じています。学校現場では、学校での学びの継続ができないことから、学力の低下が危ぶまれています。答えのない課題を学ぶ意義を実感してきた立場としては、今できない普段の勉強を無理にやることだけでなく、現在直面する問題にしっかり向き合い、それを生きた教材として学ぶことも大事な学習活動ではないかと思うところです。
 例えば、世界での感染の広がりと被害状況から、現在進行形の地理を学ぶ。ウィルスの仕組みや感染の仕方と対策から、身近に役立つ生物を学ぶ。人類の感染症の経験を通じ、現在に役立つ歴史を学ぶ。感染数の急激な拡大や収束のデータから、実生活に直結する数学を学ぶ。海外の様々なニュース記事や映像から、生きた英語を学ぶ。各国の対策とその効果から、様々な問題解決の試行錯誤の事例を学ぶ。あふれる情報の中で、効果的な情報の取り方を学ぶ。差別心や不安による行動から人の心や道徳を考える。大変な中働く医療従事者の様子から仕事の意義を考える。日本の対策と国民の反応から、社会と政治を考える。
 この人類においても未曾有の危機であるコロナウィルスへの対応は、歴史にも残る事件であり、今後の世界のあり方にも影響を与えるものです。通常通りの教育プログラムから一歩離れて、休校中にコロナについてしっかり理解するための課題に取り組むことも大事な学びだと考えます。今起きていることに向き合うことで、今後の世界の変化をしっかり受け止める子供を育てるとともに、学ぶことは社会とつながっていて、生きる上で役に立つことを再認識する機会にできないものかと考えるところです。

【コラム】イスラエルの教育:インターネット活用の効用(教育新聞2020年3月28日掲載)

 イスラエルと聞くと、パレスチナとの紛争から治安の悪い印象ばかりが先行していますが、日常の治安は非常に良く、また経済的には一人当たりGNPは日本を抜いています。最近では、ICT分野等でのベンチャー企業の躍進が世界的に注目されています。日常生活においても、例えばレストランを予約すると確認のメッセージがすぐ届いたり、渋滞や抜け道の情報精度が高いカーナビのアプリが無料で提供され、誰もが使っていたりするなど、ICTによる便利なサービスが普及しています。

私は、エルサレムに来て1年半ほど経っており、小学校4年と中学2年の子どもはインターナショナルスクールに通っています。そこでも、生徒や保護者と学校との間でITのツールが活用されており、教員にとっても、生徒や保護者にとっても、便利で効率的な点が多いです。その学校での具体的な活用状況を、他のイスラエルの学校の様子とともに、お伝えしたいと思います。

 

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インターナショナルスクールの外観

 

1.学校運営におけるインターネットの活用

 保護者と学校とのやりとりは、普段は電子メールと、学校のホームページにログインして行う様々な登録手続きで完結しています。入学時に、担任はもちろんのこと、校長から他の学年の担任までのメールアドレスが顔写真とともに配られます。学校を休む場合も、担任にメールで連絡するので、教員は電話応対の必要がありません。学校からの連絡は、すべてメールできます。最近では、コロナウィルスに対する政府の方針に基づく学校の対応について、メールで頻繁に連絡が入ってきます。

クラス便りのようなものは特になく、時々学校全体からニュースレターがメールで送られてきます。中学では、担任がホームページを作り、クラスの様子や行事の写真を共有しています。紙を使うのは、スクールトリップの時に簡単なしおりが配られたときや、イベントの参加のために保護者がサインをして提出したときぐらいです。

定期的に行われる教員と保護者との面談は、日程が近づくとメールで面談時間を予約するスケジュール表のリンク先が送られてきます。そこで、早いもの順で面談の予約を入れる仕組みです。ちなみに、日本と異なり教員と保護者の面談時間は5分のみ。小学校は担任のみで、中学校は各教科の教員のうち、面談をしたい人を保護者が自由に選んで予約します。5分で何が話せるだろうかと思いましたが、生徒の様子や学業の進捗を聞く目的は最低限達成できると経験して感じます。また、もっとゆっくり話したければ、直接連絡して別に時間を設けることも可能ですし、お迎えのついでに立ち話をすることもあります。

学校のクラブ活動の申し込みは、学校のホームページにパスワードで入って行います。早いもの順で登録を受け付けて、定員に達したら締切ります。クラブ活動の費用も、申し込み時にPayPal(個人向けオンライン決済サービス)を使って支払われ、効率的に進められます。学校の中にITに強い教員がいて、その人が学校全体のIT活用の推進と支援をしています。

なお、イスラエルの現地の学校では、通常の学校との連絡はSNSでされることが多いようです。また、生徒の成績や出席状況の管理用に、国内の多くの学校で使われているアプリがあるとのことです。

 

2.授業におけるインターネットの活用

我が子の通う小学校では、Rising Starsという英国で作られた教育現場向けサイトを、授業や宿題で使っています。(https://www.risingstars-uk.com/)

例えば、家のPCで英語の宿題をやる場合、問題文を読み10問の質問に答えると、その場で正解数が分かるようになっています。結果がすぐわかるので、子どももゲーム感覚で宿題をやるようになります。そして、回答結果は先生に共有され、各人のデータが蓄積されて表示される仕組みになっています。これを使うことによって、教員がこれまで使っていた採点やデータ管理の時間が効率化されることになります。

中学校では、生徒と教員のコミュニケーション用にManage Bacという米国で作られ、インターナショナルスクールで普及しているサイトを使用しています。(https://www.managebac.com/)

このサイトでは、スケジュール、宿題、成績等を一元的に管理することができます。宿題の内容と締切りは教員から各人にこのサイトで連絡され、生徒はこのサイト上で提出します。教員にとっては、全生徒の提出書類が一カ所に整理されて集約されていることから、効率的に管理することができます。生徒も、すべての宿題の内容と締切りが一覧で見ることができ、出し忘れなどが簡単に確認できます。成績は、科目ごとに、普段のミニテスト、宿題、レポート、プロジェクト、期末テスト等の項目に分かれて点数配分が決まっていますが、その点数を教員が随時更新し、各人が確認できる仕組みになっています。

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ManageBacの生徒側の画面例

 

イスラエルでも、コロナウイルスの影響で登校は禁止となりましたが、インターナショナルスクールでは、中学はすぐにZoomを使ったオンライン授業に切り替わりました。小学校は、4日後に急遽Google Classroomを立ち上げ、先生からの課題、校長や担任からのビデオメッセージや授業映像、家でできる運動やリラックスできる音楽まで送られてくるようになりました。特に小学校は親の負担が大きいですが、子どもたちは先生とチャットでやり取りもでき、学校とのつながりを感じながら過ごせています。ネット環境に課題がある家庭の相談にも乗ってくれています。

 

 

このように、イスラエルではインターネットの活用により、教員の負担が軽減され、生徒の学習が効率化されています。日本の学校教育においても、通信費が払えない家庭に国が補助することや、教員向けのIT研修等により、更なるインターネット活用を推進することが今急務だと考えます。

#37 もう戻れない?日本からエルサレムを想う

 夜、キッチンで皿洗いをしながら、ふと「もうエルサレム、戻らないかもしれないなあ」と思っていると、急にムスメを連れて学校に向かう道を歩いている時を思い出して、涙が出てきた。緊急の一時帰国で気が張っていた気持ちが、ぷつんと切れたのかもしれない。

毎日毎日、「今何時?」「間に合わないから走ろっか」と話しながら通ったあの道。月曜は、「週末何した?って聞かれたらどう答えるか練習しようか」「I cooked pan cake…」なんてやり取りをしたり。学校に行かない日々もあったから、久々の登校日、子どもの足取りをじっと見ながら、「あー、大丈夫だなあ」と思ったり。そして、校内に入り、ムスメと別れてから柱の陰で、教室に入るところまで見守って、ほっと一息ついたり。

自分の誕生日はクラスみんなにカップケーキを作って持っていくのがむこうの学校のしきたりで、前日遅くまで妻と一緒に作ったカップケーキを大きな袋に入れて、2人でゆっくり歩きながら持って行ったり。「スナック忘れた」「図書バック忘れた」と言われ、「いいじゃん、1日ぐらい」と言っても嫌がり、結局後で持って行き、そっと子供のカバンの中に入れたり。最初の頃はムスコも一緒に3人で行っていたけど、中学にもなると親と一緒に行くのが恥ずかしいのか、しばらくしてからは、ほとんどムスコは後から一人で通っていた。

1日のうち、一番忙しいのは、朝だった。6時半に起きて、ばたばたと家族全員分、ご飯と味噌汁の朝ごはんを作り、ムスメのおにぎりを2個作る。なかなか起きないムスコの布団をはがし、ムスメの持ち物チェックをして、先に出る妻を追うように、ムスメと出かける。時間がないからと、先に出たほうがエレベーターのボタンを押し、ムスメはいつもエレベーターの中か、建物の入口で靴ひもを結ぶ。そんな毎日だった。朝、勢いよく扉を閉めるので、隣の家から苦情が来るようになったりもした。

無事子どもを送り届けた後、時々寄り道して、トラムの見えるカフェで、5シェケル(150円)のコーヒーを飲みながらFBを見たり、家に帰ってリビングで一息つくのも好きな時間だった。一番の思い出は、特別の観光地じゃなくて、日々思いを持って過ごした日常なんだなあ、とあらためて思わされた。あの時間が、急にぷっつりと途絶えて、もしかしたらもう繰り返すことはないのかも、と思うと妙に切なくなく、そしていとしく思えてくる。

ただただの日常の繰り返しだけど、自分なりに頑張っていたんだなあ、と。頑張れる日常があることは、ありがたいことでもあるなあと。

今は、また新たな日常がはじまっている。学校休みの中での3人で家にこもった中でのワンオペ。時々手を抜きながら、楽しく、前向きにやっていかないとね。

 そして、今はだれもが大変な時かなあと思う。この状況の中、ほとんどの人が新しい状況を受け入れないとならない状況かと。それは、今までやってきたことと、過ごしてきた時間、普通にあったものを失うことでもある。その中で、前向きに頑張る人もいれば、受け入れられずに不満を感じている人もいる。そして、実は平気なふりをして、自分でも気づかずに傷ついている人もたくさんいるように思う。新しい状況に適応するのに一生懸命で、自分のことをゆっくり振り返る時間が持てないまま過ごしている人。

自分で涙を流して思ったのは、涙を流すとすっきりするなあ、ということ。なんだか、浄化されて、次に行ける感じがする。

【コラム】 コロナ休校とイスラエルの学校のネット活用

<コロナ休校で始まったオンライン授業>

イスラエルのコロナ対策は決定が早く、その実行も早い。3月12日、夜8時からの首相のテレビ会見で、翌日からの学校の閉鎖の決定が告げられた。まだ、感染者100人にも達しておらず、死者も0だったと思う。うちの小4のムスメと中2のムスコは、エルサレムのインターナショナルスクールに通っていたが、早速その夜10時過ぎに、小学校、中学校、それぞれ校長から、メールで明日の学校はなしと連絡が入った。

そして、中学は休みの初日から、すぐにZoomを使ったオンライン授業に切り替わった。実は、このような事態を想定して、ちょうどその日は遠隔授業を試行実施することになっていた。練習の予定が、いきなり本番になった訳だ。もともと中学では、普段から、スマホやPCを使って生徒同士で一緒に課題をやったり、先生に課題を提出したりしているので、環境的にも問題なく皆適応しているようだった。

初日は校長の話だけで終わったが、翌週からは普段からの時間割に基づき、授業が始まった。教科によって、普段と変わらないような授業を、Zoomを使ってやるものもあれば、Zoomの授業時間は短くして、各自でやる課題中心でやるものもあった。例えば数学は、先生が新しい単元の説明をプレゼンテーションに加筆する形で説明をし、生徒ともやり取りもしながら、普段の授業と変わらない感じで行われていた。

小学校も、休校開始の4日後に急遽Google Classroomを立ち上げ、毎日の授業が再開した。小学校は、中学校と違ってネットで先生と生徒がやり取りする機会はなかったので、一からの立ち上げだった。学校のITに詳しい先生がサポートに入り、それぞれの学年の先生が校長のもと一丸となって対応したようだった。その日からGoogle Classroom上で、担任の先生からの各科目での課題が毎日10通以上送られてきた。送られるメールには、PPTが添付されていたり、先生が授業のように話をする映像が添付されて来たりした。そして、生徒への課題が出され、その一部は翌日の朝9時までに写真を撮り、先生に送るように指示が出た。

さらに、校長からのビデオメッセージや、体育の先生による家でできる運動の情報、音楽の先生からのリラックスできる音楽まで送られてくるようになった。また、週に1回1時間ほどZoomの時間ができ、先生と生徒、生徒同士が話をして、つながりを感じる時間も取られるようになった。アートの作品を紹介したり、先生のリクエストで、みんなで面白い帽子をかぶってみたり。課題を日々やっていくのは、学校に行くのに比べて子供たちは楽しみも少なく、モチベーションも下がるので、このZoomの時間は、クラスのつながりを維持し、またモチベーションをあげる上でも、大事な時間だった。また、補講的にアシスタントの先生がリクエストに応じて、マンツーマンでZoomの時間をとってくれるようにもなった。

当初は、先生も生徒も親も使い方が分からず四苦八苦していた。親同士もSNSでつながっていて、そこでは使い方のやり取りがされていた。先生も、新しい授業スタイルで、さらに出した課題が膨大に返されて混乱したようで、走りながら徐々にやり方のルールができていった。

小学生は、子どもだけでは使い方も分からなければ、自立的に課題ができるわけでもないので、親の負担は相当大きかった。一緒に座り、PCを開き、ひとつずつメールを開く。書かれたことを理解し、必要なものはプリントアウトする。映像は一緒に見て、課題を確認する。集中が途切れ、他のことをやりだすので、近くにいながら様子をうかがっていないとならない。イスラエルは外出禁止令が出されたころのタイミングであり、またインターナショナルスクールは、共働き家庭が少なかったので、親が家にいない問題は特に話題にはならなかった。ただ、親の負担が大きいことや、子どもがたくさん通っている家庭では、端末が足りないことや、時間がかぶるといった課題がでてきた。

通信料に関しては、イスラエルはありがたいことにネット料金が安くて、携帯電話で十分すぎる50Gの容量でも月々1,800円ほどしかしなかったし、Wifiもほとんどの家庭で普及していた。ネット環境に課題がある家庭については、相談にも乗ると学校から説明もあった。

 

<普段の学校のネット活用>

今回、コロナ休校への対応で素早く反応したイスラエルのインターナショナルスクールは、普段から、生徒や保護者と学校との間でITのツールが活用されていた。これは、教員にとっても、生徒や保護者にとっても、便利で効率的な点が多い。

イスラエル自体、最近は、ICT分野等でのベンチャー企業の躍進が世界的に注目されている。日常生活においても、例えばレストランを予約すると確認のメッセージがすぐ届いたり、渋滞や抜け道の情報精度が高いカーナビのアプリが無料で提供され、誰もが使っていたりするなど、ICTによる便利なサービスが普及している。

普段の学校のインターネットの活用はざっとこんな感じだ。

 

1.学校運営におけるインターネットの活用

 保護者と学校とのやりとりは、普段は電子メールと、学校のホームページにログインして行う様々な登録手続きで完結している。入学時に、担任はもちろんのこと、校長から他の学年の担任までのメールアドレスが顔写真とともに配られる。学校を休む場合も、担任にメールで連絡するので、教員は電話応対の必要がない。学校からの連絡も、すべてメールでくる。コロナウィルスに対する政府の方針に基づく学校の対応についても、メールで頻繁に連絡が入ってきた。

クラス便りのようなものは特になく、時々学校全体からニュースレターがメールで送られてきている。中学では、担任がホームページを作り、クラスの様子や行事の写真を共有している。紙を使うのは、スクールトリップの時に簡単なしおりが配られたときや、イベントの参加のために保護者がサインをして提出したときぐらいだった。

定期的に行われる教員と保護者との面談は、日程が近づくとメールで面談時間を予約するスケジュール表のリンク先が送られてくる。そこで、早いもの順で面談の予約を入れる仕組みだ。

学校のクラブ活動の申し込みは、学校のホームページにパスワードで入って行う。早いもの順で登録を受け付けて、定員に達したら締切りになる。クラブ活動の費用も、申し込み時にPayPal(個人向けオンライン決済サービス)を使って支払われ、効率的に進められている。学校の中にITに強い教員がいて、その人が学校全体のIT活用の推進と支援をしている。

ちなみに、イスラエルの現地の学校では、通常の学校との連絡はSNSでされることが多いらしい。また、生徒の成績や出席状況の管理用に、国内の多くの学校で使われているアプリがあるとのこと。

 

2.授業におけるインターネットの活用

我が子が通う小学4年のクラスでは、Rising Starsという英国で作られた教育現場向けサイトを、授業や宿題で使っていた。(https://www.risingstars-uk.com/)

例えば、家のPCで英語の宿題をやる場合、問題文を読み10問の質問に答えると、その場で正解数が分かるようになっている。結果がすぐわかるので、子どももゲーム感覚で宿題をやるようになる。そして、回答結果は先生に共有され、各人のデータが蓄積されて表示される仕組みになっている。これを使うことによって、教員がこれまで使っていた採点やデータ管理の時間が効率化されることになる。

中学校では、生徒と教員のコミュニケーション用にManage Bacという米国で作られ、インターナショナルスクールで普及しているサイトを使用している。(https://www.managebac.com/)

このサイトでは、スケジュール、宿題、成績等を一元的に管理することができる。宿題の内容と締切りは教員から各人にこのサイトで連絡され、生徒はこのサイト上で提出する。教員にとっては、全生徒の提出書類が一カ所に整理されて集約されていることから、効率的に管理することができる。生徒も、すべての宿題の内容と締切りが一覧で見ることができ、出し忘れなどが簡単に確認できる。成績は、科目ごとに、普段のミニテスト、宿題、レポート、プロジェクト、期末テスト等の項目に分かれて点数配分が決まっているが、その点数を教員が随時更新し、各人が確認できる仕組みになっている。

 

このように、イスラエルではインターネットの活用により、休校中の授業の継続のみならず、教員の負担軽減と、生徒の学習の効率化が図られている。日本においても、多くの地域でゴールデンウィーク明けまで学校が休みになり、さらにインターネットを活用した教育の実施が重要な課題になっている。学校教育関係者からも、オンライン授業の実施に向けて様々な動きを始めている様子も聞かれる。文科省も徐々に動き出しているし、企業も通信費の負担や、端末の貸し出しなどの動きを始めている。学校休校は、GW明け以降もさらに伸びる可能性は十分ある。これを機に、学校が様々な関係者と協力して、更なるインターネット活用が進んでほしい。そして、いま日本にいる保護者としても、できることを進めていこうと思う。

#36 コロナで急遽一時帰国(その2)

<第3章:いきなりの避難一時帰国決定>

3月16日(月)、青年海外協力隊が全世界から引き上げることになったと聞いた。2000人規模で世界各地に派遣している協力隊全員を、このタイミングで日本に帰すという決定には驚いた。まだ、いわゆる開発途上国での蔓延はアジア、中東の一部ぐらいに限られていて、アフリカや中南米にはやっと感染者が少しずつ出てきたぐらいだったからだ。ただ、フライトのキャンセルや空港閉鎖の動きは一部の国で出てきていた。医療体制が弱い国々で感染が広がったら、厳しい状況は確かに予想された。感染者を出すことや、国外に出られなくなる可能性があることから、早い段階で組織としてリスクの最小化の決断したのだろうと理解した。

そして、3月17日(火)、仕事先の妻から、続いてJICAのスタッフの家族も一時帰国させることが決定したと連絡があった。急な動きだった。その日は、休校中の福島の高校生にZoomで話をしたり、子供たちを矯正の歯医者に連れて行ったり、学校にムスメの勉強道具を取りに行ったりと、コロナが広がった中での変わらぬ日常を過ごしていた。イスラエルは、初めての死者が出たばかりの段階で、外出制限や買い占めは起きていたが、特に日常の不安や感染のリスクを感じることもなかった。日本人や外国人駐在員にも特に帰国の動きはなかったし、自分たちも帰ることは全く考えていなかった。

一時帰国は想定外だったが、全世界での方針と聞き、受入れる以外の選択肢はなかった。あと3か月したら父子で帰る予定だった我が家としては、このタイミングで帰ることでムスコの帰国子女枠の扱いがどうなるかがまずは気になった。また、家族が急に分かれることへの漠然とした不安があった。そして、いつ戻れるか分からず、またもし戻れなくなったら、このままイスラエルの暮らしが途切れたまま終わってしまう可能性があることに、戸惑いもあった。

妻は関係者のフライト手配に四苦八苦していた。我々のフライトも、一旦3月22日(日)発のトルコ航空便で手配できたものの、その後一方的にキャンセルされてしまい、慌ててオランダ航空(KLM)に変更になった。オランダは既に感染が広がっており、日本の厚労省の情報によると、経由しただけでも日本で検疫対象となり、公共交通機関が使えなくなる可能性があるとのことだった。また、もし万が一アムステルダムから日本へのフライトが急にキャンセルされたら感染が広がる慣れない国で、子供と3人だけでホテル暮らしになる、という最悪なシナリオも想定され、できれば避けたかった。しかし、他にもアエロフロートは飛んでいるが、最近搭乗拒否をされたケースがあるとの情報があったこともあり、結局一番確実に帰れそうなオランダ経由で帰ることになった。日本からは、1日でも早く帰るようにとの話があり、出発が前倒しになるのではと慌てたが、結局は予定通り日曜に帰ることになり、とりあえずほっとした。

ムスメの遠隔授業も始まり、一緒にPCに向かいながら宿題などを確認するなど、慣れない手順でばたばたする中、同時並行で帰国の準備を始めた。部屋にスーツケースを並べて、すぐに使う衣類や勉強道具などのパッキング、子どもの学校や仲の良い知り合いへの連絡、妻への引継ぎの書き出し、重要書類の整理などを、To Doリストを作ってこなしていった。

そんなばたばたの中、いつもはさしたるわがままも言わずにマイペースで過ごしているムスコから、日本から送ってもらったサンフレッチェ広島のユニフォームとTシャツがまだ届かないけどどうにかならないか、と懇願される。何をこの忙しいときに!と、いらっとしたが、ムスコは珍しく真剣に何度も確認してくる。取り急ぎ、荷物の配達状況をネットで確認してみると、ちょうど出発直前にエルサレムに届くことが分かった。忙しい中、車で30分ほどの集配場に行き無事ゲットして帰ると、ムスコはニヤリとして嬉しそうだった。

出発までは息の抜けない緊迫する時期だったけど、親が焦ったり、動揺したりするのは子供の気持ち的にも良くないと思い、平然と、余裕あるようにふるまっていた。急遽の帰国も、日本に帰れば日本食も食べられるし、と前向きに話していた。だけど、時間的にも、気持ち的にも、本心はわりといっぱいいっぱいな感じだった。

ムスメは、急にばたばた準備して誰とも会わずに帰国というのもかわいそうなので、近所の日本人友達の家で遊ばせてもらった。また、ちょっと家から離れた外国人の友達とは、外出制限もあるので、ビデオ電話をしたり、写真とメッセージを送ったりして、出発前のあいさつをした。

同じアパートで仲良くなったユダヤ人ファミリーに連絡して、安息日の金曜夜に家に顔を出しおしゃべりをした。1歳になる子どもをムスコが気に入って、時々自らベビーシッターをしに行っていた家族。お茶とお菓子をいただきながらよもやま話をして、もしも戻れなかったら、東京にぜひ遊びに来て、まあ今はいつでも連絡できるからね、と別れた。

フライトは、オンラインチェックインもできて、無事飛びそうだ。成田から公共交通機関が使えないことを想定して、兄に相談したり、ハイヤーを探したりした。でも、結局出発までに足は確保できないまま、出発の時間になった。

 

<第4章:イスラエルから日本へ>

3月22日(日)は自分の誕生日。早朝1時半に家を出て、車でテルアビブのベングリオン空港へ向かう。荷物は、スーツケース3個、キャリーバック3個、小さなリュックなど3個の計9個。妻と子供たちが別れ別れになるので、最期はちょっとしんみりした。

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空港に行くと、一緒に帰る日本人3家族には知り合いも多く、なんだか心強かった。フライトスケジュールの掲示を見ると、軒並みCANCELEDの文字が並んでいた。

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カウンターで、無事成田までスルーで荷物を預けることができ、日本着便まで無事飛ぶことを実感し、一安心した。普段は厳しい空港のセキュリティチェックも、この日はほとんど厳しくなかった。

機内に入ると、ほぼ満席だった。不安なフライトだけど、家族3人横並びの座席で安心だった。5時15分に飛び立つ。イスラエルではまだマスクが普及していなかったが、機内の多くの人はマスクをしていた。子供らにも、機内でずっとマスクをつけるように言う。そして、当初からこの3月に日本に帰る予定だった日本人家族からプレゼントでもらった携帯の消毒ジェルをポケットに入れて、トイレなどに行くたびに神経質になって子供たちに使わせていた。

9時過ぎにアムステルダムの空港に着いた。空港は空いていた。一緒の日本人家族と、感染に気をつけながら軽く食事をした。

周りに、防護服を着ている人がいたので、空港の関係者かと思ったら、次のフライトを待つお客だった。アジア系の若い人で、他にも何人か見かけて驚いた。

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ここでの待ち時間で、成田空港から家に帰るハイヤーが予約できた。空港送迎専門で、HPでもコロナ隔離者対応もしていると書かれており、メールでの応対も素早くて助かった。(その後、コロナ隔離者対応の対応はやらなくなった模様)

アムステルダムから成田のフライトは14時20分発。6割ぐらいの座席が埋まっていた。日本人がほとんどだった。日本語の機内アナウンスを聞き、これで戻れるなあ、という気持ちになりほっとした。今回も家族3人横並び。他の空いている席でゆっくり横になることもできたが、感染が怖いので3人ずっとくっついて動かなかった。一緒に映画を見て、無理な姿勢で寝て、トイレに行って、ジェルで消毒して、の繰り返しだった。

CAと客の接触を減らすため、機内食サービスが簡素化されていた。回数は減り、飲み物も最低限になるとアナウンスがあった。そんな特別な状況のフライトにもかかわらず、搭乗時の生年月日の情報で気づいたのか、CAがわざわざ僕の席にバースデーを祝うデザートにメッセージカードを添えて持ってきてくれた。自分たちが大変な時なのに、ありがたいなあと感動した。KLMは素晴らしい。

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CAに話しかけると、「戻りの便でオランダに帰るつもりだけど、毎日いつキャンセルになるかも分からない。今の日本の様子はどう?」と聞かれた。機内で乗っているだけでもすごいストレスなのに、彼女らは感染のリスクを負い、さらに帰れないかもしれないという不安の中で仕事をしていた。「日本は早い時期に感染が広がったけど、今はヨーロッパよりずっと感染者数も少ないよ。ちょうど桜の花がきれいな季節だから、もし日本に滞在しなきゃならなくなったら、楽しんで」と気休めの言葉を返すぐらいしかできなかった。

 

<第5章:日本に帰ってきた>

9時45分成田に無事到着した。成田の検疫では、個人情報とコロナがらみの確認書類を書くところで列ができていて待たされた。書類を書き終えたら係官に渡して、「フライトは検疫強化地域のオランダからだけど、自分たちが住んでいたのはイスラエルで検疫強化地域ではない。その場合は自宅隔離の対象になるのか?」、と聞くと、上司に聞いてくるので少し待つように、と言われた。しばらくすると戻ってきて、「オランダには入国していないので自宅隔離対象ではない」、と言われ、ほっとした。体温も、サーモグラフィーでチェックするのみで、入国まで1時間半ほどで、思っていたよりはスムーズだった。

結局公共交通機関で帰ることもできたが、すでにハイヤーを予約していたので、荷物を全部積みこみ、優雅に帰ってきた。久しぶりの日本は、まさに桜が満開前ぐらいできれいだった。家に着くと、ちょうど家を貸していた友達が、荷物をまとめて出ていくところだった。昼間だけ通いでマッサージのサロンとして使ってもらっていたので、住んでいた家を追い出したわけではなかったけど、急遽使えなくなってしまい、迷惑をかけてしまった。

家の中に入ると、懐かしい木の香りがぷーんとしていた。我が家の隣の幼稚園の桜が、ちょうどきれいに咲いていて、キッチンの窓からきれいに見えた。

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海外帰りなので、大丈夫だとは思うが、念のためしばらくは外出も控えおとなしくしていることにした。それにしても、厳しく管理されていたイスラエルや、感染を心配したオランダの空港から日本までの機内を経験してくると、人が普通に外出して歩いている日本がとても不思議な感じがした。そして、感染者も死者も少ないということも謎だった。感染者は検査をしていないからだとしても、死者も少ないのはなぜなんだろう。衛生観念が違うからか、握手やハグをしないからか。それとも、ちゃんとカウントされていないからなのか。ゆったりとした平和な様子が、まるでおとぎの国のように感じるね、とムスコと話していた。

#35 コロナで急遽一時帰国(その1)

残り3か月のつもりでいたタイミングで、新型コロナの影響で父子のみ急遽一時帰国となりました。先が見えない状況の中で、今後の予定も流動的になりました。忘れないように、一連の出来事を振り返って、記録しておこうと思います。

 

<序章:早い水際対策のイスラエル政府~入国制限、自宅隔離>

イスラエルは、コロナの感染者が国内で発生する前の早い段階から、厳しい水際対策をやってきた。早々に中国を始め、感染国からの直接入国の禁止や、帰国者へ14日間の自宅隔離命令を出す。隔離者には、SNSで毎日体調確認の連絡が入り、買物も指定する知人が玄関まで配達し、手渡しせず置いておくルール、という徹底ぶり。違反には罰金や禁固刑を可能にする法律も通ったらしい。やるときはやるイスラエル。やるときはやるネタニヤフという感じ。

そして、2月23日(日)、イスラエル旅行をしていた韓国人団体旅行者が、帰国後に感染していたことが判明したため、予告なしにいきなり韓国からの直接入国を止める。その晩にソウルから飛んできた飛行機は、お客を降ろさせずにそのまま送り返したらしい。で、なんと、その飛行機には、冬休みに一時帰国したまま帰らず、やっとイスラエルに戻ることを決めたムスメの一番の友達の家族も乗っていた。その話を聞いてムスメはがっかり。

そして韓国に続き、翌日24日(月)の朝8時からは、「過去14日以内に日本に滞在した人の入国を禁止する」と発表。これでもう、日本から直接イスラエルには来られなくなった。そして、「日本出国後14日以内の短期滞在の人は(自宅隔離対象等になるかもしれないので)明日の朝8時までに出国した方が望ましい」、という情報が流れた。短期滞在者の中には、あわてて帰国便を変更して空港に行ったにもかかわらず、逆に航空会社の搭乗拒否にあった人もいた。また、陸路でヨルダンに抜けるアレンビー橋に向かった人は、イスラエルを出国できたものの、ヨルダン側に入国を拒否されるなど、現場は混乱していた。そもそも、イスラエル政府内でも、当時は保健省と外務省等で意見が違うまま公表されたりして、情報も錯そうしていた。

ただ、この時点でのイスラエルの感染者は、ダイヤモンドプリンセス号で感染した2名のみ。アジア人がコロナ、と言われたりしているような状況で、地元の人には感染の広がりも危機感もさほどなく、日常の生活が続いていた。この状況ながら、ここまで厳しい対応をするイスラエル政府の素早い対応には驚いた。3月2日に選挙があるから、それを意識しての危機感演出なのか、なんて声も聞かれたが、結局選挙が終わってもその対応ぶりは変わらなかった。日本から仕事で赴任する人の中には、直接入国ができないため、隣国のヨルダンで14日過ごしてからイスラエルに入国する人もいた。

感染は、イタリアを始めヨーロッパ各地に広がった。感染拡大国からの入国者は軒並み14日間の自宅隔離対象となり、国によっては直接入国禁止に追加された。自宅隔離を意味するQuarantineという言葉が頻繁にニュースや周りで飛び交い、対象者が人口の1%を超えたのもこの頃だったと思う。周りの日本人や学校に子供が通う外国人家族も、結構な割合で自宅隔離対象になった。

3月上旬には、パレスチナ自治区内のベツレヘムで多数の感染者が出たため、いきなり市内の学校、観光施設、宗教施設が閉鎖になった。パレスチナ自治区は特に施設の不安があり、特に人口密度の高いガザ地区に感染が広がることが心配された。援助関係者は、引き続きパレスチナ地域で活動を続けていたが、西岸やガザに入る検問が閉じ、いつ活動が休止せざるを得なくなるかも懸念材料だった。

この頃の我が家の日常生活はまだ変わらず、子どもは学校に通い、休日はムスメが友達のバースデーパーティで一緒に映画を観に行ったり、パレスチナ自治区で仕事をしている日本人が遊びに来て、泊まっていったりしていた。妻も変わらず仕事に行っていた。「4月のイースターの休みが最後の海外旅行のチャンスだけど、行き場所が限られてきたな、自宅隔離になっても大変だから感染が広がっていない南アフリカにでも行こうか」、なんてことを考えて、知り合いに連絡を取ったりもしていた。

 

<第2章:生活が変わった~学校閉鎖、外出制限>

3月10日(火)、ついにイスラエルは、全世界を対象に入国後14日間の自宅隔離を決定した。まだ感染者50人、死者0人の段階で徹底した水際作戦を遂行。どんどん、先手先手に攻めてくる。イタリアでの感染拡大と医療崩壊による死者急増でスイッチが入り、アメリカへの感染拡大が決定的だった模様。アメリカを入国制限の対象国として個別に名指しすることで関係を悪化させることを避け、全世界を対象にしたとの話も広がった。

ロジカルには、これで海外からの感染流入はストップ。次はそれでも広がる国内の対策をどう打ってくるか。学校閉鎖、移動制限、公共交通機関のストップ、そして外出禁止令も出しそうな勢いを感じた。先を見越した人々が、食料品などの買い占めを始め、パスタやトイレットペーパーがスーパーで品薄になり始める。イスラエルは過去の戦争経験から、普段も1か月分ぐらい生活できる食料や日用品をストックしている人が多く、今はその在庫を増強しているだけだ、なんて話も聞く。

そんな中、皆で仮装をして街を歩き楽しむイスラエルハロウィーンのプリムというお祭りの時期がやってくる。コロナ対応でエルサムでのイベントは中止になり、昨年より少ないものの、街には仮装した若者や家族が歩き回っていた。マーケットで大勢の人が所狭しと夜な夜な集まる写真がネットで広がり、コロナ感染を考えない不届きものだ、との批判コメントも書かれる。

そして、3月12日(木)、夜8時からの首相のテレビ会見で、明日からの学校の閉鎖の決定が告げられる。何の前触れもなく突然に。発表によると、小学校低学年や幼稚園、保育園は一応対象外。で、うちの子のインターナショナルスクールはどうなるのか。保護者の間でSNSのやりとりが飛び交う。夜10時過ぎ、小学校、中学校、それぞれ校長からメールで、明日の学校はなしと連絡が入る。国の方針に基づく対応、との説明。早い。雨の中、ムスメにせがまれ翌日の仮装の道具を買いに行ったのに。

翌日の13日(金)、中学のムスコは実は遠隔授業の試行予定日だった。こんな事態がいつか来ることを想定して行う予定のつもりが、いきなり本番になった感じ。そこで、早速Zoomを使って校長が説明を開始。普段から、スマホやPCを使って生徒同士一緒に課題をやったり、ManageBacというソフトで課題を提出したりしているので、環境的にも問題なく皆適応しているようだった。
さらに、3月14日(土)夜、首相から外出制限の方針が発表される。「保育園、幼稚園も閉鎖。そしてショッピングセンター、レストラン、カフェを含む娯楽施設の閉鎖や、イベント、結婚式の禁止。会議など人が集まるのは10人以内。飲食の提供や食料品販売はOK。不必要な外出自粛、公共交通機関の使用自粛。そして、人と2mの距離を確保すること、握手やハグはしないこと。」などが告げられた。

翌日、街に出てみると、まだまだ人は出歩いていた。飲食以外の店は変わらずやっているところが多かった。レストランは閉まっていたが、カフェやシュワルマなどの食べ物を売る店は、路上のイスをたたみ、座席を10人以内にして営業を続けていた。行きつけのコーヒー豆屋に行って様子を聞いてみると、「あれは厳密にはルール違反だから、そのうちもっと厳しいルールが発表になるはず。郵便局は中に従業員もいるから、5人ずつの入場制限をして、朝は外の行列も2m置きに並んでいた」と言っていた。

その後、ムスメの小学校からは、学校に荷物を取りに来るように連絡があった。小学校は土日を含む5日間の休みの後、3月18日(水)からGoogleクラスルームを使った授業が始まった。先生方は努力して、オンラインで授業を継続する体制をなんと5日で整えた。すごい。機材やWifi環境に問題がある場合を相談するようにとの案内もあった。

しかし、小学校に関しては始めてみると親の負担が相当大変。毎日20通ぐらいメールが来て、そこにはそれぞれの科目のPPTや映像や課題が添付されている。中身を子供と確認しながら必要なものはプリントアウト。提出の指示がある課題は、写真に撮って翌朝9時までに送り返す。体育のエクササイズや、音楽まであって、ありがたいけど、メールを開いて指示を理解するだけで一苦労。Googleクラスルームの使い方にもなかなか慣れず、ムスメと並んでPCに向かいながら格闘。さらに、先生相手と違い、ムスメは言うことを聞かず、一人なので集中も続かず、横にいて様子を見ていないとなかなか勉強が進まない。

ただ、自宅オンライン学習になったことで、今まで見られなかった子どもたちの学校での様子が見えてきた。ムスコはZoomを通じて授業中にあてられて答えたり、質問したり、しっかり授業に参加している様子を見ることができた。ムスメも、僕が聞いても良く分からないような先生の授業のビデオでの説明を理解していて、2人ともすごいなあ、成長したんもんだなあ、とあらためて思った。

この頃から、毎晩のように首相の会見が開かれ、最新の方針が発表されるようになった。発表はヘブライ語だが、同時通訳の英語ニュースサイトや、エルサレムの在住日本人仲間で始めた勉強会で作ったメッセンジャーグループの中での情報交換、そして大使館からの連絡等で情報をとっていった。

そして、予想通り、そのうちカフェの営業もできなくなり、食料品を扱うスーパーなどの店と薬局以外は店も閉まり、外出も10分以内、100m以内に制限された。