エルサレムで主夫はじめました

~~~~~~~~ 30年間のサラリーマン生活から早期退職をして、イスラエルのエルサレムに家族で住み、主夫をはじめました。 ~~~~~~~~~~~~~~インターナショナルスクールに通う子供たちの様子、イスラエルとパレスチナの日常、主夫の心境などをつづります。 内藤 徹~~~~~

#15 旧市街とNGO、4ヵ月を振り返り、これからを考える

エルサレムに来て4か月になり、子供たちの学校も冬休みに入った。

ここでの生活は、自分にとってはサラリーマンを辞め、海外で主夫として暮らすという大きなトランジッションの時期である。

仕事をしているときの、効率と成果が大事な考えや体質から自分自身が変わる時期になるし、そうしようとも思っていた。あまり予定に追われず、まずは目の前のやるべきことをゆっくりこなすことを大事にしたいと思って過ごしていた。日々子供の送り迎えをし、買い物に行き、食事を作り、洗濯をし、という日常を自分のペースでやりながら過ごしてきた。

家を整えるのに苦戦し、子供の学校のことで試行錯誤してきたが、最近は子供のことも少し落ち着いてきたと思い、自分の関心あることについて動き始めた。

エルサレムの観光をほとんどしていなかったが、日本人の来訪とあわせて、やっと旧市街の宗教施設へ何度か訪問するようになった。

そこには、イエスが十字架を背負って歩き、処刑された場所で、様々なキリスト教の施設と、そこで起こったとされるストーリーがある。世界から集まるひたむきな巡礼者を見ていると、この地の特別さがひしひしと伝わってくる。

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さらに、ユダヤの人たちが祈る嘆きの壁と言われる場所が、モスリムの人たちが祈るモスクがある世界の中でも大切な神殿の丘というエリアの外壁であるのを目の当たりにして驚いた。

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この地を巡る紀元前からの歴史と攻防はあまりに壮大すぎて、なかなか理解できないけど、それぞれの宗教を信じるものにとって、特別な場所であることはよく分かる。ここにいる間に、宗教を信じる人の心をもっと知りたいと思う。

 

パレスチナ支援を行う日本のNGOの話を聞き、また活動現場を見せてもらい始めた。現在、こちらに拠点を持って活動する団体は、JVC(日本国際ボランティアセンター)、ピースウインズジャパン、国境なき子どもたち、パレスチナ子どものキャンペーン、パルシック、地球のステージの6つほどがある。

多くの団体はエルサレムに拠点を置き、東エルサレムヨルダン川西岸、ガザ地区の事業を現地の団体とともに実施している。でも、パルシックと地球のステージは、活動時期が最近であることから、ヨルダン川西岸内のみでしか移動できないビザしか発給されていないらしく、隣国のヨルダンから直接ヨルダン川西岸に入り、エルサレムに来ることもできない中で活動しているらしい。日本のNGOが、西岸に住むパレスチナ人と同じような移動の制限の中で働かざるを得ない不便な状況にあることは意外であった。

また、最も生活環境も治安状況も厳しいガザは、現地になかなか入れない中で、現地のパートナー団体に多くを任せて活動を進めざるを得ない話も聞いた。現地を見なければ、状況を把握することも、対応策を考えることも当然難しくなってしまう。援助が必要な場所は、活動が難しい状況にあるのも現実である。

 

エルサレムとガザとで活動するJVCという団体に、東エルサレムで行う学校保健のプロジェクトの現場を2校ほどモニタリングに同行させてもらった。

http://ngo-jvc.net/jp/projects/palestine/

エルサレムは、旧市街周辺の観光客が訪問する地域以外はほとんど行くことがなく、学校という日常場面に触れさせてもらう機会は貴重だった。

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休み時間に会うパレスチナの子供たちは、日本人の来訪に興味津々で、積極的な子供たちは手を振ってきて、ハロー、ワッツユアネーム?と無邪気に話しかけてくる。そして、学校保健委員会の委員に選ばれた子供たちは、とても前向きで、先生たちとも積極的に話をしている様子がとても印象的だった。

どちらの学校にも、毎日イスラエル兵が管理している検問所を通り1時間半もかけて学校に来ている生徒がいて、検問所でのトラブルも日常であることも直接子供たちから聞いた。そして、このプロジェクトは健康状態の改善だけが目的ではなく、子供たちの自尊心を育てることも目指していて、その背景には、イスラエルによる日常的な行動地域の制限や、兵士による身体検査、身近な人の拘束の話などにより、子供たちが自分たちの存在意義や、地道に努力をすることの大切さを見失っている現状があることも聞かされた。

そして、実は東エルサレムや、その中の旧市街のパレスチナ人は、イスラエル兵や警察との直接の接点が多く、西岸のパレスチナ人よりもそういった面で日常において嫌な思いや不条理を感じることが多い傾向にある、という話を聞き驚いた。家から歩いて10数分の身近なところに、実は目には見えない厳しい現実があった。でも話を聞かないと見えてこない世界でもある。

 

パレスチナに関しては、イスラエル側の中での親パレスチナの市民活動にどのようなものがあるのか、関心を持っていた。結局はイスラエル側から変わらないと今の状況は変わらないと思うから。そして、政治的なものとともに、市民レベルの動きも大事だと思うから。

イスラエル兵で、軍の行っていることに疑問を感じたことから、イスラエルパレスチナで行っていることをイスラエル人に見せる活動をしているブレーキングザサイレンスという団体があることを最近聞いた。

https://www.breakingthesilence.org.il/

また、イスラエルには、ウルトラオーソドックス=超正統派と呼ばれる、国から補助金をもらいながらユダヤ教を研究し、厳格な宗教的な生活をする人たちがいる。その中にイスラエルという国家自体のあり方を否定し、パレスチナへの占領についても批判するグループがあることも聞いた。

 

そんなことをやり始めたところ、冬休みに入る前に学校に呼ばれ小学校の校長先生と面談することになった。

会いに行くと、担任の先生と2人でいて、ムスメの出席が少なくいことについて説明があった。「学校にくれば友達とも仲良くやっているし、学校に来ないと英語も伸びないし、友達との関係も積みあがっていかない。もっと親も学校に来させるよう厳しくやってほしい」、と言われた。

学校に行くかどうかの最終判断を、最近は本人にさせるようにして、家にいるときは学校と同じように時間を決めて勉強するようにしている、と伝えると、「それだと学校に行かなくて良いというメッセージにもなる、既に休みが多く、これ以上休むと進級させることが難しくなる」、とも言われてしまった。試行錯誤しながら、たどり着いた今のやり方が否定されたような言い方に、やや言い合いにもなり、一応一緒にやっていきましょうと握手はしたものの、家に帰っても気持ちが収まらなかった。

同じような立場の人とメールで相談し、「学校の立場としてはそう言うけど、親の考えが大事。ムスメにも状況を話したほうがいいだろう」、ということになり、すべてではないけど、校長と担任と会ったときの話をムスメにした。妻にももちろん話したが、今回は気にした感じで夜遅くまで置きていたムスコにもいろいろ話し、もう疲れてきたよ、とまで言ってしまった。ムスコもムスコなりに考えており、自分としてもどうしたらよいか分からない、と話してきた。こちらに来てから、兄弟げんかも多く、それも悩みの種だった。お互い大変な中で頑張り、子供たちだけで自由に遊びに行くこともできない環境でいるから、当然けんかも多くなる。それも、自分としてはストレスだったけど、今回のことを家族それぞれと共有できて、皆それぞれ考えていて、うまくやっていきたいと思っていることを確認できて、自分で抱えすぎない気持ちにはなれたことはとても良かった。

そして、もしかしたら「はじめてのおつかい」のように、もう少し子供を信じて厳しく送り出してもよかったのかもと思いだす。日本で学校に行かないケースとは状況が違うので、対応方法も違うかも、と思ったりもする。一方で、子供の様子を見ながら丁寧に対応してきてたどりついたところが今のやり方ではある。今回の話を受けての結論は、言葉と仲間づくりのためには学校に行ったほうが良いことをしっかり伝える。ただ身体と気持ちから行けそうにないときには、子供の気持ちを大事にする、そして、休んでもリズムを作る意味でも、家で勉強はしていく、というあたりかと。いずれにせよ、この件は、いったん冬休みに入り、日々一喜一憂することはなくなった。

冬休みに入り、ルーティーンに追われる日々からひと段落。心に余裕ができた分、この4か月の過ごし方はこれでよかったのかなあ、学校のことでの自分のやり方は正しかったのかなあ、といろいろ考えが巡る。1月に入って、また学校が始まるとどうなるんだろうと気にもなる。

そして、自分にとっても、ここでの時間を有意義に活かしているのだろうか、と考える。何か成果や達成感を持とうと焦るのも違う気もするけど、何か自分でやっていくこともあったほうがいい。

そこで、今まで趣味で習ってきて、やる機会をずっと探していたマッサージをやろうとマッサージベッドを購入した。エルサレムには、日本のように手軽に受けられるところはなく、ツーリスト向けのホテルのSPAがあるぐらい。身近な人から初めて、そのうち、いろんな人にも提供できればと思う。

パレスチナのことは、とても複雑でデリケートな世界なので、限られた時間の中で自分が何かをやるようなものではないが、いろいろ学ぶ機会、発信する機会、またお手伝いする機会があればやっていければと思う。

そして、何かをやろう、結果を出そうとするのでなく、目の前のことをこなしながら、退職した立場に甘えて、もっと先の自分の人生にとって大切な経験と学びの場にしていくことが大事だろうなあ、と考える。

思考はぐるぐるするし、日々考えは変わっていくが、ここで書くことも自分にとって良い頭の整理になっているし、いただくコメントなども助けになっている。書くことも、続けていきたい。