エルサレムで主夫はじめました

~~~~~~~~ 30年間のサラリーマン生活から早期退職をして、イスラエルのエルサレムに家族で住み、主夫をはじめました。 ~~~~~~~~~~~~~~インターナショナルスクールに通う子供たちの様子、イスラエルとパレスチナの日常、主夫の心境などをつづります。 内藤 徹~~~~~

#34 もう日本帰国まで4か月になってしまった

 早いもので、エルサレムに来て1年半。予定している6月末の日本帰国まであと4か月ほどになってしまった。ラストスパートに向かう準備段階に入ってきた感じだ。こちらの学校は8月末に始まり、6月末に終わる。我が家はちょうど8月に来たので、今度の6月で丸2年の学年が終わることになる。妻のこちらでの仕事は終わりが決まっておらず、あと1年ぐらいいる見通しで、6月は、僕と子供2人が先に本帰国することになる。

 

父子で先に戻ることにした一番の理由は中学3年になる上の子の高校受験のため。受験を海外に住みながら行うのは情報集め、勉強自体ともに非常に大変そうだし、2学年いれば帰国子女としての受験が多くの学校で可能になるので、ちょうど良いからだ。せっかく海外にいるんだからなるべく長くいたほうがいい、とアドバイスしてくれる友人もいた。妻もできれば一緒に長くいられる方がいいと言っていた。

 

ただ、妻の帰国時期は不確定で、どのタイミングで学校に編入するかも分からない。息子も、中学1年を1学期だけ終えて、友達と中途半端に分かれて来てしまったので、高校は最初から行きたいという。日本にいたらできたであろう、友達と自由に出かけたり、いろいろ語ったり、部活に没頭したり、という時間はここでは足りなかったのは事実。海外経験は確かに貴重なので、また高校に入ってから留学に行くとか、大学でどこか海外に出る、ということができればなあ、と思っている。

 

ムスメの方は、友達もできて学校にも元気に行っているけど、日本に早く帰りたいのは変わらず。僕もそろそろ日本に戻り、仕事や新しい暮らしを始めないとなあ、と思っている。ということで、結局父子で先に2年弱で帰国となった次第である。

 

最近の子どもたちの様子はこんな感じ。

小4のムスメは、実はちょっとしたチャレンジがこの冬にあった。2年目になってクラスにやってきた韓国人の子と9月から仲良くなり、お互いが認める一番の親友になったが、その子が年末に韓国に一時帰国したまま、帰ってこなくなってしまう出来事があった。学校の冬休みにお母さんと一緒に一時帰国したのだが、そのままお母さんが韓国にいることに決めて、その子も帰ってこないことになったらしい。

 

ムスメは1月の最初の登校日に学校の先生から聞かされ学校でも大泣きし、周りの先生やクラスメイトにすごく心配されたらしい。その子に会いに行くのが一番の楽しみで学校に行っていたムスメは、ちゃんと学校に行くかな、また行きたくなったりしないかなあ、と心配な日々を過ごすことになった。

 

ありがたいことに、学校の担任もわざわざお迎えに行った僕に声をかけてきて、学校でもみんなでフォローしますから、と言ってくれた。もう一人ムスメの仲良しの子が、上の学年にいるスイス人とフィリピン人のハーフの子。その子の親も、家に呼んでくれた。数日は元気もなく、自分も日本に帰りたい、と発作のように言い出したりしたけど、それでも1年目の学校に行かなくなってしまった時期とは違い、何とか自分で乗り越えようとしていた。

 

そして、驚いたのは、韓国に帰ったその子と、テレビ電話で1時間ほどの長話を2回もしたことだった。学校や、家で遊ぶときは、一緒にウンテイをしたり、ふざけ合ったり、ゲームをして遊んでいたが、テレビ電話でそこまで話ができるとは驚きだった。コミュニケーション能力が随分向上したし、気が合うと言語や国籍に関係なく、いろんなことがオープンに話せて分かち合えるようになる不思議なつながりだなあ、と思った。そして、突然何の前触れもなく友達がいなくなった寂しさもまぎれ、どうにかまた日常の学校生活を過ごすようになっていった。

 

 ムスコは、最近結構難しい学校の宿題をやっている。2人が通っている英国系のインターナショナルスクールは、国際バカロレアの学校で、決まった教科書はなく、各授業で配られたプリントを使っている。時にクラスメイトとSNSで情報交換をしながら、レポートを書いたり、PCを使ってプレゼンを準備したりしていて、なんか大学生みたいだなあ、と思ったりする。

 

ヒューマニティという日本の社会にあたる授業では、植民地主義多文化主義、科学の発展と宗教の扱いなどなど、なかなかスケールが大きく、世界を理解するために大切なことを学んでいる。数学の試験問題も、単なる個別の計算問題や文章題というより、試験全体で一連の問題を解く中で法則性を発見させるような、考えさせる問題を出していて、大人がやっても面白かったりする。成績も試験以外に普段のレポートなども評価対象になるようで、アメリカの大学のようだ。

 

日本に帰ってからのことを考えて、ムスコには海外の生徒向けの通信教育も始めてみた。だが、こっちにいると受験気分にもならず、なかなかエンジンはかからない。まあ、とりあえずは積み上げもので、2年のブランクを埋めるのはなかなか大変そうな、ムスコの数学とムスメの漢字を、帰国までにはそこそこやるぐらいでいいかなあ、と思っている。

 

 エルサレムの冬は、日本と同じぐらい寒い。そして、春から秋まではほとんど降らない雨が、冬の時期には結構降る。ので、出かけるのも億劫になり、家にこもりがち。ということで、最近は家族でゲームをやって過ごすことも多い。

 

特に最近はまっているのはCATANというボードゲーム。何人かから面白いよ、と勧められたが確かに面白い。下の娘でもできるし、毎回ボードの配置が変えられるので、変化もある。戦略性と、交渉能力と、サイコロの運が合わさって勝敗が決まり、なかなか奥深い。1時間半ぐらいで終わるのも手ごろ。一時期はまったものの、あまりに時間がかかり過ぎて途中で飽きてしまうモノポリよりも良い。それでも、途中で点差が開くと子どもらのやる気がなくなってくるので、負けている人が逆転しやすくなる特別ルールを考えたりして、遊びの中でちょっとした創造性も養ったりしている。大学時代にいた帰国子女の友達の家に行くと、家族が仲良くゲームなんかをやっていることがあったが、なるほどこういう環境がそういう家族関係を作るのか、と納得した。

 

 だんだん、暖かい日も増え、桜によく似たアーモンドの花も咲き始めた。そろそろ、残り少ない日々で、イスラエルパレスチナをもう少し見て周って帰ろうかなあ、と思ってる。