エルサレムで主夫はじめました

~~~~~~~~ 30年間のサラリーマン生活から早期退職をして、イスラエルのエルサレムに家族で住み、主夫をはじめました。 ~~~~~~~~~~~~~~インターナショナルスクールに通う子供たちの様子、イスラエルとパレスチナの日常、主夫の心境などをつづります。 内藤 徹~~~~~

#40 日本に戻ってから、急に子どもたちが大人っぽくなった

 3月下旬に日本に戻ってから、2か月半が過ぎた。帰国直後の2週間は海外帰りなので自主的に半隔離状態で過ごしていた。で、2週間が過ぎたと思ったら、その後東京はずっと緊急事態宣言でStay Home、自粛の日々。スーパーやコンビニになど食材を買いに行く以外は、ほぼ出かけることもなく、子ども2人と濃密な時間を過ごしていた。

まあ、振り返るとエルサレム時代も平日は学校が終わってから夜寝るまでの7~8時間は子供らとほぼ一緒だった。外食もお高くてほとんど家でご飯を作っていたから、それほど大きな違いもない。それでも、こちらの家には妻がおらず、また誰もうちに遊びに来ないし、子供たちが学校に行かないので一人の時間がなく、「いつも3人という単位で家にいる」、というのはなかなか特殊な状況だった。一緒に体を動かしたり、ゲームをしたりして過ごしていると、3人で山小屋かなんかに来て合宿をしているような気分になったもんだ。

だんだん、くだらないことを言ったり、変なことをやって盛り上がったり、また人としても心理的な距離が近くなるから、荒っぽい口調で言い合いも増えたり。特に最初の1ヵ月は、エルサレム時代よりも、寝ている時にべたべたと寄ってくるようなところがあった。多分、コロナのことで子どもたちもどこか不安な気持ちがあったせいだと思う。ムスコは、もとからコロナ情報は見ていたが、小5のムスメも、コロナの話をするユーチューバーの映像を見たあたりから、興味を持って自分でニュースを見るようになった。知らないことは不安にさせるので、コロナ感染の仕組みを分かりやすく説明してあげたら、少しほっとしていた。

 

合宿暮らしをする中で、子供たちとゆっくり話すことも多くなった。学校もない中で、安心して暮らすためにも、また話をすることで学んだり考えたりする機会とするためにも、意識して時間をとるようにした。そうでもしないと、ユーチューバーとゲームと友達とのやり取りだけで、毎日過ぎてしまう日々でもあるし。で、話をしてみて、なんだか日本に帰ってきてから、2人の子供がそれぞれ成長したような、しっかりしたような、そんな印象を持った。

受験のための塾に入る際に、Zoomでムスコと先生がやり取りをする機会があったのだが、今までになくはきはきとやり取りをしていて、驚いた。これまであった、ものおじをしたり、自信がなかったりするような様子がなかった。ムスメも、3人で話している時に、自分の考えを言ってきたりして、それがまたなるほど!と思わせるようなことを話すようになった。ボードゲームカタンは、このおこもり期の我が家のマイブームだった。そこで対等な戦いを頻繁にやっていることも影響しているのか、なんだか3人が親と息子と、その下の娘、という関係から、横並びの対等な関係っぽくなってきた気がする。そして、エルサレムでは、それぞれ日本と違って、なかなか苦労する日々を過ごしてきて、それを乗り越えて安心できるホームの環境の日本に戻り、ここなら全然大丈夫じゃん、みたいな気持ちにもなったんじゃないかと思う。高地トレーニングをした後に、普通の所で走ったら、身体が軽くすいすい走れて自信を持つような感じ。

 

そんな合宿暮らしのある晩、ベッドに入ってから、ムスコに

「ぶっちゃけ、イスラエルの暮らしはどうだった?」

と聞いてみた。そうしたら、こう話してきた。

「いやあ、正直きつかったよ。友達がいない人の気持ちがわかったよ。今ならもっといろんな人にやさしくなれる気がする。」

 

 向こうにいるときには聞けなかった彼の本音。そりゃそうだよね。日本にいた時は、いつも誰かしら友達がそばにいたし、エルサレムでも、ラインでつながっている日本の友達はいた。でも、向こうで学校から家に帰ってきてから、クラスの友達と遊ぶことはほぼなかった。

学校では、クラスメイトと話はするし、既に僕なんかより英語の理解は早い。聞けないと授業中何を聞かれているか分からないからと、自分で海外ドラマを見たり、単語をスマホのアプリで勉強したりしながら、自分で工夫してサバイブしてきた。でも、やっぱり英語の引け目や、最初は特別クラスの授業が多かったことや、文化の違いや、日本人にある控えめさから、フランクに話せて家にも呼べるようなクラスメイトはできなかったようだ。そんな1年7か月を過ごし、現地では決して言わなかった本音を、おこもり暮らしの夜中2時過ぎぐらいにぽそっと言っていた。

 

「まあ、よく頑張ったよね。大事なのは、向こうでどれだけ充実するかじゃなくて、むしろ大変だったことも含めてどう自分の中で受け止めて、これからの人生を生きるかだよね。日本と違う世界で過ごして、いろいろ考えたと思う。そして、帰ってきてから、日本の学校に行っても、たぶんまたいろいろ考えることになる。エルサレムじゃあ、こうだったのに。なんで、こんなことやっているの、とか。でも、そうやって比べて考えたり、悩んだりすることが大事だと思う。僕は、大学の海外一人旅で、初めてそれをやった。それを今の歳でやれるのは、大変だけど、とっても価値があることだよ。」

「そうだよね。ほんと、そう思うよ。」

こんな話をムスコとできるようになったのも、エルサレムに行き、またこんなおこもり時期があったからともいえる。

 

でも、ムスコもエルサレムでずっとこもっていたわけでもない。途中からは近所のコーヒー豆屋に頻繁に行き、イギリス人のルークさんや、イスラエルと日本のハーフのヤビーという若者と話をしながら、お店の手伝いをしていた。サッカーの話やら、イスラエルの暮らしやらを話し、お客さんとも会話をして過ごしていたみたい。別に行かなくてもいいし、お手伝いしても何をもらえるわけでもないけど、足しげく通っていたのは、彼なりの憩いの場所だったんだろうなあ、と思う。他にも、サッカーを学校のクラブ以外に、日本人の大人に連れられてインターナショナルな大人たちのサッカーのグループに入れてもらい、毎週、週末や平日に行って楽しんでいた。

そして、滞在後半には、同じアパートのイスラエル人夫婦と家族ぐるみで仲良くなった。お互い訪問し合って、それぞれのスタイルの食事を楽しむような関係までになった。日本人家族との付き合いが多く、うちに来るのもほとんどが日本人の中、この夫婦は貴重な存在。で、その夫婦には、1歳過ぎのアイザックというかわいらしい男の子いた。ムスコは「子供がかわいい、やばい」と言いながら、そのうちにベビーシッターに行くようになった。向こうも若い夫婦で、旦那は海外を飛び回る仕事、奥さんはアゼルバイジャンから数年前に来たばかりでヘブライ語がまだ話せず、語学学校に通っていた。だから、ムスコが行くと、とても助かるらしく、そのうち向こうから、今日は来られない?、とSNSでお誘いが来るようになった。ムスコは、子供が好きなのもあるけど、自分が役に立てて、歓迎してくれる日本人以外の場所だから、喜んで出かけていたんじゃないかと、今になって思う。エルサレムでの生活を頑張って充実させたい彼にとっては、ここももうひとつの貴重な居場所だったのかもなあ、と振り返って思ったりする。

学校に行けなくなったり、何かとまだ親のアレンジが必要だったムスメに対して、自分なりにコントロールができて、マイペースでやっているムスコは、エルサレムでの暮らしの中で、手もかからずにとても助かる存在だった。もちろん、向こうにいた時から、彼なりに大変だろうと思っていたけど、今になって、あらためていろんな思いで過ごしていたんだなあ、と思わされた。

 

学校については、ムスコは引き続きエルサレムのインターナショナルスクールのZoomの授業を続けている。3月に休校になってからずっとZoomで授業が行われている。時差があるから水曜を除く平日の昼の2時頃から夜8時頃まで、ちょこちょこと授業を受けている。現地の学校が再開した今も通えない人向けに細々と続けてくれていて、6月末まで受けて2学年目が終わるので、それまではオンラインでやろうと話している。

ムスメは、もともと日本に戻りたがっていたし、ムスコと違ってエルサレムの学校の授業は双方向でないので大変なので、日本の学校にとりあえず籍を移して通うことにした。エルサレムではGoogleクラスルームを使って課題や授業の映像が送られてくる形で、一緒になって僕がメールを開き、子供と話をしながら課題を理解して、取りかかる。これは、向こうにいるときから子供をやる気にさせるのに相当手間がかかり、さらに日本に帰ってきてしまうと子供のモチベーション維持も難しい。ので、日本の学校に籍を移して正直ほっとした。現地とは週一回、Zoomでホームルームのような会があったので、最後に参加してみんなに挨拶をして、それ以降は出ないでいる。

そして、日本の学校の方は、休校だったので、最初は学校からの課題プリントを横目に、去年までの漢字や算数の復習をちょっとずつやって、学校に戻るための準備をしていた。しかし、5月以降は、学校から毎週それなりの量の宿題が配られたので、ユーチューブと工作づけの中、それをいかに毎週終わらせるかの日々を過ごした。

そして、ようやくムスメの小学校は、今週から分散登校が始まった。短い時間でも学校に行くと、学校への気持ちも入り、友達との関係もまた始まった。少しずつ日常に戻りつつある。相変わらずコロナについては関心があるようで、

「今日は、感染者数は何人だって。」

「東京は、まだ普通に戻しちゃ良くないと思うんだよね。」

とか言う。ムスメは出かけるのも慎重で、対策すれば大丈夫でしょ、というムスコとは違う。同じ環境で過ごしていても、子供によって、コロナに対する受け止め方が違うもんだ。

 結局、1ヵ月か2か月してエルサレムに戻るつもりだったけど、とりあえず学校が終わる今月も戻ることはもうなさそう。この夏も戻れるかよく分からない。このまま、こっちにずっといることになるかも、と思いながら過ごしている。