エルサレムで主夫はじめました

~~~~~~~~ 30年間のサラリーマン生活から早期退職をして、イスラエルのエルサレムに家族で住み、主夫をはじめました。 ~~~~~~~~~~~~~~インターナショナルスクールに通う子供たちの様子、イスラエルとパレスチナの日常、主夫の心境などをつづります。 内藤 徹~~~~~

ブログが電子書籍になりました! 「仕事を辞めてエルサレムで主夫してきた」

「仕事を辞めてエルサレムで主夫してきた」というタイトルで、ブログが電子書籍になりました!

 

ブログの内容を分かりやすくまとめ、写真も整理して読みやすくまとめました。

1冊300円で、Kindle Unlimitedの会員は無料で読めます。是非、お買い求め&一読ください。リンク先は一番下です!

 

以下、告知文、感想と目次です。

隠れた人気ブログ! 読者からの声を受けて待望の電子書籍化!
仕事を辞めて、“聖地エルサレム”で“主夫”になる、という特殊な状況の中で、
家族と過ごす日々が愛しくなるような、普遍的な日常を描くノンフィクション!

英語ができないままインターナショナルスクールに放り込まれた子どもたちの葛藤と成長の物語。
そして、異国で起こる出来事の中で、ゆらゆら揺れながら考える…
学校は何のため?主夫の仕事って?100年時代の生き方とは?本当の正義って?

イスラエルとパレスチナのリアルな日常を伝える50枚を超える写真と、
ちょっと違った視点の観光情報も魅力的!

ブログ掲載当時の読者からの感想はこちらです!

◎お子さんたちのもがき、あゆみに目が離せず、毎回アップされる度に追うように読んでいました。
思わず涙ぐんだこともありました。(30代)

◎エルサレムという宗教、民族、過去と現在が交錯する場において、子育てする主夫という特殊な役割を、肩肘張らずに自然体で行う姿が印象的です。
(30代)

◎自分の人生これでいいのかな、と色々考えていた頃や、その中で自分のする事を見つけて行った事を思い出して、共感しました。(40代)

◎イスラエル、パレスチナはニュースでたまに目にするっきりで、実は具体的な生活イメージがほとんど湧かないので、掲載してある写真を見るだけでワクワクしました。(40代)

◎現地での暮らしの様子が、何の誇張も偏見も感じられず、その地の持つ悩みにも臆さず触れられていて、民族、国家を越えた人と人、その体温みたいなものがふわんと漂うのは書き手の思想でしょうか。(50代)

◎主夫は忙しいという話に共感しました。男性からの声は、新鮮で貴重です。(40代)

◆著者◆
内藤徹(ないとうとおる)
1966年東京生まれ。慶應大学人間科学専攻卒。
ミサワホーム(株)勤務、米国ボストン大学系大学院(MBA)留学を経て、JICA(国際協力機構)に転職。
JICAでは、トルコ事務所、国際理解教育とSDGsの日本での推進、NGOや企業との連携、人材育成、青年海外協力隊広報、プロジェクト管理、インフラ調査などを行う。
2018年にJICAを辞めて、妻の海外転勤にともない、小3と中1の子どもと家族4人でエルサレムに行く。
現地では、主夫として子育てをしながら、イスラエルとパレスチナに関する日本人への理解促進や、執筆などを行う。
現在は東京で、「多文化」「教育」「多様性」「対話」をキーワードに、執筆、ワークショップ、コンサルティングなどをフリーランスで活動中。清泉女子大学非常勤講師。また、自宅サロン「あさごや」で心身がゆるみ自分を生きるためのオイル・タッチ・セラピーを行う。

■目次より■
1.家族4人でエルサレムでの生活が始まった
インターナショナルスクールで英語漬け/店が全然やってないユダヤ教の安息日
2.パレスチナの地域に行ってみた(2018年9月)
検問所を超えて壁の向こうへ行く/パレスチナ人と結婚した日本人女性のリアルな話
3.エルサレムの主夫暮らしってこんな感じ
専業主夫のぼやきとプライド/休暇シーズンの引越しで、どえらい目にあった
4.ムスメが学校に行けなくなった
ムスメを気遣いパレスチナ人が家に招いてくれた/誕生パーティ前夜に高熱なんて、一体どうすりゃいいの?
5.学校って何のため?勉強ってどうやって?
学校って行く必要はあるの?/小学校の校長から呼び出された
6.この地をいろんな視点で見てみる
テルアビブの風に吹かれて/日本のNGOの活動現場を覗いてみる/ホロコーストからの生存者の話を聞く/
パレスチナ難民キャンプの中を歩いてみる
7.年が明けて、流れが変わる
中途半端な自分に落ち込んだ日々/英語に目覚めたムスコがとった作戦
8.エルサレム旅行で大切な3つのテーマ
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の歴史/イスラエルによるパレスチナとの紛争と占領
/ユダヤ人の迫害とホロコースト
9.やってみて分かった主夫の気持ち
主夫ってエライ?なんか偏っている日本の夫婦像/手間をかけずに美味しく作る料理の方程式
10.久々の日本、そして2年目
日本での夏休みと、ムスコの高校選び/エルサレムに来て、日本はこれでいいの?と想うこと
11.イスラエルからパレスチナを考えてみる
イスラエル寄りのガイドの説明につっこみまくり/ユダヤ人とアラブ人がともに学ぶイスラエルの学校
/「エルサレムで学び会う場」を始めた
12.それぞれの変化と成長
ムスコのサッカー交流とインターの考えさせる授業/家族づきあいするユダヤ人宅で、ベビーシッターを始めたムスコ
/エルサレムのマッサージ事情
13.突然コロナで日本に戻る
学校がいきなり休校になった/そして、父子で緊急一時帰国
14.日本からエルサレムを想う
もう戻れない?日本からエルサレムを想い流れる涙/急に子どもたちが大人っぽくなった
(付録)対話:ぶっちゃけどうよ??イスラエル側の日本人にパレスチナについて聞いてみた

 

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#41 日本に戻って半年、もうすっかり受験モード

ムスコの高校選びなんて、本人がするものだと思っていたけど、とんでもない。前からずっとやっていて、主だった学校は決まってきたけど、滑り止めも含め、ここ数日で受ける学校を全部決めちゃおうとすると、なかなか決まらない。ムスコと二人で、ネットで調べて、パンフ取り寄せて、オンライン説明会見て、あーだのこーだの話し、結局リストをExcel表で作りはじめた。

今どきの高校受験は併願校制度という、これだけの内申があれば第2志望にしてくれたら入ることを保証しますよ、という仕組みがあって、そんなにたくさん受けなくても安心みたい。だけど、帰国子女の場合にはちょっと事情が違う。帰国生受験と言う別枠の受験機会があり、英語のウェイトが高かったり、数国が簡単だったり、帰国生向けの受験ができる学校が結構ある。うちもこれ狙いなんだけど、こちらは併願っていう制度が使えない。だから、いくつでも受験できて、その中から受かったところに行くパターン。知らない学校でも、実はここ良いんじゃない、みたいなケースもあり、調べていくうちにどんどんリストが長くなっていく。

今は学校見学もできないので、オンラインの説明会を見たり、口コミサイトを見たりしてイメージを持つしかなく、なかなか「ここが行きたい!」、という直感的決め手を本人も持てない。だから、HPの内容みて、場所やら、合格実績を見て、さらに口コミサイトで在校生のコメントなんかも読んでいろいろ想像して考える。で、良さそうなら、リストに受験日やら、受験科目やら、入学金の払い込み月やら、書類締切りやらを書き込んでいく。そして、長いリストから優先する学校を選び、パズルのようにスケジュールを組んでみて、とりあえず7校を受験候補校として完成させる。で、帰国子女向けの塾の先生に相談すると、パンフレットやネット情報ではわからない情報を伝えられ、また選び直したり。「一般受験でも、英語は活かせるし、選択肢も増えますよ」、なんて言われて、ムスコもあらためて調べだすと、さらに混迷を極め。もはや複雑な情報戦の様相。

 

そもそも僕は、中学受験をして中高一貫校に行き、その学校はとても好きだったけど、一方で、小学校時代に塾に通い詰めたことには、自分でも失ったものが大きいと思っていた。で、中学でまた塾に入れようとした母親に抵抗して、そのまま高校3年になるので塾には行かなかった。宮崎の田舎で過ごした妻も、中学受験なんて何?って感じだったので、我が家は、中学受験はほぼ考えもしなかったし、子供2人ともこれまで塾には全く入れたことがなかった。海外に行っちゃったから、それはそれでよかったけど、今になって、この受験という制度に、親としても向き合わされている。

今の時代、どの大学に行くかじゃないよ、と思ったり、でもやっぱりまわりの仲間の知的レベルや向上心は大事だよなと思ったり。大学まで行ける附属校を選ぼうとする息子に、今自分の大学まで規定することないじゃん、もっと可能性を広げたら、と言ってみたり。でも附属校じゃないところは、塾のように学校で受験を意識した授業をやっていて、それもどうかと思ったり。そんな感じで、親としても言うことがぶれまくり。日本の教育はこうあるべきだよね、なんていう理想を偉そうに話したり書いたりもしてきたけど、子供の受験に向き合うと、今の現状の中での現実的な方針を考えさせられることになる。

 

高校の最近のトレンドは、女子校が共学化するのに合わせて、グローバル、アクティブラーニング、ITあたりを売りに模様替えして、パンフレットでも宣伝していること。それは、良い流れだなあと思って塾の先生に話すと、実態はどこまでかという話もあり、結局高校選びは大学の進学実績で見るのが王道ですよ、なんて言われたり。いつからなのか、多くの高校が、一つの学校の中に複数のコースを作り、それぞれ違う生徒を集めている。そして、多いのが、特進とかと言うコース名でできる子を集めて、受験勉強をがっつりさせて大学進学実績をあげようとするパターン。そんな実態が見えてきて、じゃあ適度な受験実績と、これからの教育を大事にした実態ある学校はないのか、とまた探し始めたりと。

いっそ、最近注目の通信制の革新的な学校はどうよ、とあらためてN校、Z校、ルークス、インフィニティなんて学校のHPを覗いてみたり。まあ、ムスコ自身は学校という場に行き、仲間と集うのが好きで、エルサレム時代にできなかったそういう時間を持つことが優先順位の上にあるみたい。だから、男女比とか、高校から入る生徒の割合とか、クラス編成がどうなるかとか、そんなことがとても気になるみたいで。ので、通信はないよな、と思ったり。

 

一方、ムスメも、周りの友達が塾に行ってる子が多く、放課後に遊ぶ友達も少なくなっていて。いよいよ、塾に行きたいと言いだした。帰国子女受験して、せっかくの英語を活かすのもいいなあと思い、塾探しを始めたけど、友達がいく有名受験塾に体験で行き、撃沈。難しいし、休み時間は短くて友達と話せないし、宿題も多いしと。で、じゃあ英語からやるかと考えなおし、帰国子女向けの英語塾に行ったけど、あまりにレベルが高く、これも撃沈。

そもそも、勉強が楽しい、という感覚はどうやったら持てるんだろう?本当は探求学習とかやらせたいんだけどなあ、と思ったり。ムスメはニュースに関心があり、コロナのことや、アメリカの選挙やらにやたらコメントをしてくる。そこら辺に、ちょっとヒントがあるかもと思ったり。何か、子供の学びに火をつけるようなきっかけがあるといいし、せっかくの英語と興味を伸ばせる中学に入れたいなあ、と思う。しかし、これまた帰国子女受験の学校に話を聞きに行くと、「中学受験も、帰国子女受験は早くて11月が勝負。5年生も、もうあと一年。早くしないとですよ。」なんて言われて、ひー、という感じ。

いろいろふらふら試行錯誤しつつも、今は、子供二人の受験の道筋をつけることが大事。こんなこと、中学受験した共働き家庭は仕事をしながらやっていたのか、と今になって思う。これは大変。ムスコの学校が決まったら、今度は書類集め。エルサレムの学校から必要な書類をもらって日本に送ってもらったり。書類の種類も提出方法もバラバラで、間違いなく期日にそろえて出すのも大仕事。そう、これはもはや仕事。

 

#40 日本に戻ってから、急に子どもたちが大人っぽくなった

 3月下旬に日本に戻ってから、2か月半が過ぎた。帰国直後の2週間は海外帰りなので自主的に半隔離状態で過ごしていた。で、2週間が過ぎたと思ったら、その後東京はずっと緊急事態宣言でStay Home、自粛の日々。スーパーやコンビニになど食材を買いに行く以外は、ほぼ出かけることもなく、子ども2人と濃密な時間を過ごしていた。

まあ、振り返るとエルサレム時代も平日は学校が終わってから夜寝るまでの7~8時間は子供らとほぼ一緒だった。外食もお高くてほとんど家でご飯を作っていたから、それほど大きな違いもない。それでも、こちらの家には妻がおらず、また誰もうちに遊びに来ないし、子供たちが学校に行かないので一人の時間がなく、「いつも3人という単位で家にいる」、というのはなかなか特殊な状況だった。一緒に体を動かしたり、ゲームをしたりして過ごしていると、3人で山小屋かなんかに来て合宿をしているような気分になったもんだ。

だんだん、くだらないことを言ったり、変なことをやって盛り上がったり、また人としても心理的な距離が近くなるから、荒っぽい口調で言い合いも増えたり。特に最初の1ヵ月は、エルサレム時代よりも、寝ている時にべたべたと寄ってくるようなところがあった。多分、コロナのことで子どもたちもどこか不安な気持ちがあったせいだと思う。ムスコは、もとからコロナ情報は見ていたが、小5のムスメも、コロナの話をするユーチューバーの映像を見たあたりから、興味を持って自分でニュースを見るようになった。知らないことは不安にさせるので、コロナ感染の仕組みを分かりやすく説明してあげたら、少しほっとしていた。

 

合宿暮らしをする中で、子供たちとゆっくり話すことも多くなった。学校もない中で、安心して暮らすためにも、また話をすることで学んだり考えたりする機会とするためにも、意識して時間をとるようにした。そうでもしないと、ユーチューバーとゲームと友達とのやり取りだけで、毎日過ぎてしまう日々でもあるし。で、話をしてみて、なんだか日本に帰ってきてから、2人の子供がそれぞれ成長したような、しっかりしたような、そんな印象を持った。

受験のための塾に入る際に、Zoomでムスコと先生がやり取りをする機会があったのだが、今までになくはきはきとやり取りをしていて、驚いた。これまであった、ものおじをしたり、自信がなかったりするような様子がなかった。ムスメも、3人で話している時に、自分の考えを言ってきたりして、それがまたなるほど!と思わせるようなことを話すようになった。ボードゲームカタンは、このおこもり期の我が家のマイブームだった。そこで対等な戦いを頻繁にやっていることも影響しているのか、なんだか3人が親と息子と、その下の娘、という関係から、横並びの対等な関係っぽくなってきた気がする。そして、エルサレムでは、それぞれ日本と違って、なかなか苦労する日々を過ごしてきて、それを乗り越えて安心できるホームの環境の日本に戻り、ここなら全然大丈夫じゃん、みたいな気持ちにもなったんじゃないかと思う。高地トレーニングをした後に、普通の所で走ったら、身体が軽くすいすい走れて自信を持つような感じ。

 

そんな合宿暮らしのある晩、ベッドに入ってから、ムスコに

「ぶっちゃけ、イスラエルの暮らしはどうだった?」

と聞いてみた。そうしたら、こう話してきた。

「いやあ、正直きつかったよ。友達がいない人の気持ちがわかったよ。今ならもっといろんな人にやさしくなれる気がする。」

 

 向こうにいるときには聞けなかった彼の本音。そりゃそうだよね。日本にいた時は、いつも誰かしら友達がそばにいたし、エルサレムでも、ラインでつながっている日本の友達はいた。でも、向こうで学校から家に帰ってきてから、クラスの友達と遊ぶことはほぼなかった。

学校では、クラスメイトと話はするし、既に僕なんかより英語の理解は早い。聞けないと授業中何を聞かれているか分からないからと、自分で海外ドラマを見たり、単語をスマホのアプリで勉強したりしながら、自分で工夫してサバイブしてきた。でも、やっぱり英語の引け目や、最初は特別クラスの授業が多かったことや、文化の違いや、日本人にある控えめさから、フランクに話せて家にも呼べるようなクラスメイトはできなかったようだ。そんな1年7か月を過ごし、現地では決して言わなかった本音を、おこもり暮らしの夜中2時過ぎぐらいにぽそっと言っていた。

 

「まあ、よく頑張ったよね。大事なのは、向こうでどれだけ充実するかじゃなくて、むしろ大変だったことも含めてどう自分の中で受け止めて、これからの人生を生きるかだよね。日本と違う世界で過ごして、いろいろ考えたと思う。そして、帰ってきてから、日本の学校に行っても、たぶんまたいろいろ考えることになる。エルサレムじゃあ、こうだったのに。なんで、こんなことやっているの、とか。でも、そうやって比べて考えたり、悩んだりすることが大事だと思う。僕は、大学の海外一人旅で、初めてそれをやった。それを今の歳でやれるのは、大変だけど、とっても価値があることだよ。」

「そうだよね。ほんと、そう思うよ。」

こんな話をムスコとできるようになったのも、エルサレムに行き、またこんなおこもり時期があったからともいえる。

 

でも、ムスコもエルサレムでずっとこもっていたわけでもない。途中からは近所のコーヒー豆屋に頻繁に行き、イギリス人のルークさんや、イスラエルと日本のハーフのヤビーという若者と話をしながら、お店の手伝いをしていた。サッカーの話やら、イスラエルの暮らしやらを話し、お客さんとも会話をして過ごしていたみたい。別に行かなくてもいいし、お手伝いしても何をもらえるわけでもないけど、足しげく通っていたのは、彼なりの憩いの場所だったんだろうなあ、と思う。他にも、サッカーを学校のクラブ以外に、日本人の大人に連れられてインターナショナルな大人たちのサッカーのグループに入れてもらい、毎週、週末や平日に行って楽しんでいた。

そして、滞在後半には、同じアパートのイスラエル人夫婦と家族ぐるみで仲良くなった。お互い訪問し合って、それぞれのスタイルの食事を楽しむような関係までになった。日本人家族との付き合いが多く、うちに来るのもほとんどが日本人の中、この夫婦は貴重な存在。で、その夫婦には、1歳過ぎのアイザックというかわいらしい男の子いた。ムスコは「子供がかわいい、やばい」と言いながら、そのうちにベビーシッターに行くようになった。向こうも若い夫婦で、旦那は海外を飛び回る仕事、奥さんはアゼルバイジャンから数年前に来たばかりでヘブライ語がまだ話せず、語学学校に通っていた。だから、ムスコが行くと、とても助かるらしく、そのうち向こうから、今日は来られない?、とSNSでお誘いが来るようになった。ムスコは、子供が好きなのもあるけど、自分が役に立てて、歓迎してくれる日本人以外の場所だから、喜んで出かけていたんじゃないかと、今になって思う。エルサレムでの生活を頑張って充実させたい彼にとっては、ここももうひとつの貴重な居場所だったのかもなあ、と振り返って思ったりする。

学校に行けなくなったり、何かとまだ親のアレンジが必要だったムスメに対して、自分なりにコントロールができて、マイペースでやっているムスコは、エルサレムでの暮らしの中で、手もかからずにとても助かる存在だった。もちろん、向こうにいた時から、彼なりに大変だろうと思っていたけど、今になって、あらためていろんな思いで過ごしていたんだなあ、と思わされた。

 

学校については、ムスコは引き続きエルサレムのインターナショナルスクールのZoomの授業を続けている。3月に休校になってからずっとZoomで授業が行われている。時差があるから水曜を除く平日の昼の2時頃から夜8時頃まで、ちょこちょこと授業を受けている。現地の学校が再開した今も通えない人向けに細々と続けてくれていて、6月末まで受けて2学年目が終わるので、それまではオンラインでやろうと話している。

ムスメは、もともと日本に戻りたがっていたし、ムスコと違ってエルサレムの学校の授業は双方向でないので大変なので、日本の学校にとりあえず籍を移して通うことにした。エルサレムではGoogleクラスルームを使って課題や授業の映像が送られてくる形で、一緒になって僕がメールを開き、子供と話をしながら課題を理解して、取りかかる。これは、向こうにいるときから子供をやる気にさせるのに相当手間がかかり、さらに日本に帰ってきてしまうと子供のモチベーション維持も難しい。ので、日本の学校に籍を移して正直ほっとした。現地とは週一回、Zoomでホームルームのような会があったので、最後に参加してみんなに挨拶をして、それ以降は出ないでいる。

そして、日本の学校の方は、休校だったので、最初は学校からの課題プリントを横目に、去年までの漢字や算数の復習をちょっとずつやって、学校に戻るための準備をしていた。しかし、5月以降は、学校から毎週それなりの量の宿題が配られたので、ユーチューブと工作づけの中、それをいかに毎週終わらせるかの日々を過ごした。

そして、ようやくムスメの小学校は、今週から分散登校が始まった。短い時間でも学校に行くと、学校への気持ちも入り、友達との関係もまた始まった。少しずつ日常に戻りつつある。相変わらずコロナについては関心があるようで、

「今日は、感染者数は何人だって。」

「東京は、まだ普通に戻しちゃ良くないと思うんだよね。」

とか言う。ムスメは出かけるのも慎重で、対策すれば大丈夫でしょ、というムスコとは違う。同じ環境で過ごしていても、子供によって、コロナに対する受け止め方が違うもんだ。

 結局、1ヵ月か2か月してエルサレムに戻るつもりだったけど、とりあえず学校が終わる今月も戻ることはもうなさそう。この夏も戻れるかよく分からない。このまま、こっちにずっといることになるかも、と思いながら過ごしている。

 

#39 すっぴんで、自分がむき出しな時代に?

昨日、久しぶりに電車に乗った。久しぶりというか、3月に日本に帰ってきてから初めて。座席は隙間なく座っているし、変わらず人は普通にいる。
ただ、マスクだけは98%ぐらいの人がしていて、今までとは違う。していない人を見つけるのは、ちょっとしたゲームのようだった。

白いマスクに、清潔感のある洋服の女性に目がいく。きっと、マスクが似合うファッションってあるよな。そういう特集とか、雑誌でやりそうだな、と思ったり。洋服にあわせてマスクを変えたりするようにもなるのかなぁ、とかいろいろ思う。

ふと、でも、なにか自分はそこにいないような、傍観者でいるような、そんな気持ちでいることに気づいた。そして、立ち止まって街の人々の流れを見ながら、急に、もう「スタイル」じゃないなぁ、と思った。なんだか、そう思った。
それは、多分、もう、なんとか風とか、いい感じに見せるとか、マーケティングとか、そういうんじゃないんだよなぁ、という思い。今年の流行とか、小洒落た場所とか、そういうのは楽しかったけど、そして、今でもいいなぁとは思うけど、でももう中心はそういうんじゃなくなったよなぁ、、と思った。

 

じゃあ、なんなんだろう?スタイルじゃなくって。
それは、人の生き方、ありよう、本質とか?
人そのもの、というようなものなんだろうか。

空気読んで、ポジショニングするんじゃなくて、自分はこれです、っていう生き方、あり方。スッピンで勝負、みたいな。そう、気持ち的にはスッピンだよな、やっぱ、これからは。

ちょっと別の話だけど、つながる話で、、
テレワークで、家で仕事をすることで、仕事の自分と家の自分のギャップに疲れたり、仕事に家の顔が出てきてキャラが崩壊した男性が結構いるような気がしている。
この数ヶ月zoomの中で、これまでの関わりでは見たことのない、知り合いの家庭での顔を、たくさん見た。そのことで、結果的に仕事や外の顔と、家の顔の統合が進んでいる気がする。

それもまた、もう仮面はかぶれないし、仮面を魅力的にしても今までほど効き目はないよ、ってことにつながる話なんだよね。オヤジも仮面という化粧をしていたけど、これからはスッピンでいくしかないんだよなぁ、と。スーツをわざわざ着ているのも、なんか違和感を感じたり。

そんな、スッピンで、普段着で、むき出しで、自分を正直に出していく社会に変わっていくなら、それはちょっと嬉しいし、楽しみだね。

【コラム】イスラエルの教育:ユダヤ人とアラブ人がともに学ぶ学校(教育新聞2020年4月25日掲載)

エルサレムという特殊な場所

エルサレムの中心にある旧市街には、3つの宗教的に大変重要な施設が隣接して存在しています。①キリストが十字架に架けられた場所で、中に墓がある「聖墳墓教会」、②ユダヤ教にとって最も大切な祈りの場で、かつての神殿を囲む壁である「嘆きの壁」、③イスラム教にとって3番目の聖地で、預言者ムハンマドが昇天したとされる「アルアクサモスクと岩のドームのある神殿の丘」、の3つです。

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神殿の丘に建つ黄金の岩のドームと、手前にある嘆きの壁

 

この地は、3000年以上前から、様々な権力、宗教による興亡がありました。第二次大戦後には、世界各地から集まったユダヤ人がイスラエルを建国したことにより中東戦争が起こり、パレスチナの問題はいまだに解決していません。

実際に住んでいても、エルサレムはとても複雑な場所です。私の住む西エルサレムは、主にユダヤ人が住むイスラエル側ですが、幹線道路を挟んで東側の東エルサレムは、イスラエル国籍を持たないアラブ人が住みつつイスラエルが占領しています。さらに、その先には分離壁と呼ばれる壁があり、壁の向こう側にはアラブ人が住むパレスチナ自治区ヨルダン川西岸地域が広がっています。パレスチナ自治区に住むアラブ人は、特別な許可がないとイスラエル側に来ることはできません。一方、壁のこちら側のユダヤ人もパレスチナ側に行くことは禁じられています。

 

ユダヤ人とアラブ人がともに学ぶ学校

このような状況のエルサレムに、ユダヤ人とアラブ人がともに学ぶ、ハンド・イン・ハンド(イスラエルユダヤ人・アラブ人教育センター)という名のイスラエルの学校があります。(https://handinhandk12.org/

イスラエルの人口構成は、ユダヤ人が約75%を占めていますが、アラブ人も約2割います。通常ユダヤ人とアラブ人は別々の学校で学びますが、この学校ではそれぞれ半数ずつ、一緒のクラスで学びます。言語は、それぞれの母語であるヘブライ語アラビア語の両方を使います。授業の中で、双方の文化、歴史などを学ぶことで、お互いを小さいころから理解する機会を作っています。

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ユダヤ人とアラブ人がともに学ぶハンド・イン・ハンドの校舎

 

イスラエルで相互理解の機運が高まった時代に、親たちが自分たちの思いで作ったのがこの学校の始まりです。正式な公立学校として認められており、政府からの助成金を得て運営されています。しかし、二か国語での授業は普通以上に費用がかかるため、積極的に寄付も募っています。エルサレムから始まったこの学校は、現在はイスラエル全土で6校まで広がっています。

この学校の思想は、「お互いを敵でなく隣人として理解する」ことです。「知らないことが恐怖を生むので、お互いを知ること」「同化するのでなく、各民族の文化を尊重すること」を大切にしています。その教育内容に答えはなく、親も先生も試行錯誤が続いているようです。そのため、教員がファシリテーションの研修をしたり、保護者が教員とともに学習内容やイベントについて議論をしたりしています。

ユダヤ人とアラブ人の相互理解は、非常にデリケートで難しい問題です。例えばイスラエルにとっての建国というめでたい出来事は、アラブ人にとっては未だに続くパレスチナ人の難民を生むきっかけとなった悲しい出来事です。そして、ここで学ぶ生徒はお互いを友達として育っていきますが、18歳になると徴兵制の壁に直面します。ユダヤ人は、男性約3年、女性約2年の徴兵が義務付けられていますが、実はアラブ人は徴兵されません。そして、軍隊に入ると、パレスチナイスラエルの敵として再教育されてしまいます。そこで、生徒たちは、「未来の理想を目指す教育」から、「いまだに続く現実の世界」に戻されてしまうのです。さらに、この学校のことは、イスラエル社会で誰もが存在を肯定しているという訳ではありません。実際、数年前には和平に反対する過激なユダヤ人グループに、校舎を放火される事件がありました。

 

ハンド・イン・ハンドから学ぶこと

この学校は、存在自体が社会に影響を与えていく「社会変革に挑戦をする学校」と言えると思います。「理想の未来があり、それを実現していく子供たちを育てていく」、というあり方です。それは、海外の特別な学校に限った話でなく、今の日本の学校や、一人一人の教員の意識のあり方においても大切なことではないかと思います。

また、異なる立場の意見や文化を尊重する教育の方法にも学ぶべき点があります。日本においても、在住外国人や、近隣諸国との関係において、「国家、民族、文化、宗教等の違いの中で、いかにお互いを理解し、共生していくか」という課題があります。多様な価値を尊重する教育が広がることにより、日本社会に多様性の価値への理解が進み、それが日本社会の活力につながることを期待します。

そして、答えのない中で、先生や保護者がともに学びながら教育を行う点も大切なことだと思います。今、世界中で直面している新型コロナウィルスの問題のように、何が正しい答なのか分からない中で、皆が試行錯誤をしながら解決していくべき課題が、これからの時代にはいろいろ待ち受けていると思います。学校の中で、リアルで答えのない課題を共に考えていく機会をもつことは、「外にある答えをあてる力」でなく「自分の中で判断する力」を養う上で重要だと思います。

【つぶやき3】コロナのころに つながりたがり

コロナのころに ひとりぼっち

 

ずっとスマホを ながめながら

一日誰とも 話さなかったり

 

みんな何して 過ごしているのか

分からないから 不安になって

 

ニュースを読んでも 暗い話で

だんだん気分が めいってく

 

コロナのころに 勇気を出して

 

連絡先を 眺めてみては

気になる人に メッセージ

 

ご無沙汰している 人と久しぶり

近況報告 しあってみたり

 

徐々にまわりと つながり戻り

だんだん気もちが 楽になるなり

 

コロナのころに みんなあたふた

 

テレワークやら 子どもの勉強

慣れないことで てんやわんや

 

看護師 宅配 やってる仲間は

責任感で 支えてくれてて

 

フリーランスや 飲食業は

仕事がなくて 困っていたり

 

コロナのころに つながりたがり

 

Zoomの呑み会 はじめてしたり

オンラインの イベントでたり

 

歳を老いた 親が気になり

LINEでちょくちょく 話をしたり

 

まだまだ先は 長そうだから

自分でやること 考えてみたり

【つぶやき2】コロナのころに おうちばっかり

コロナのころに おうちばっかり

 

PC見ながら 子どもとおこもり

それぞれ居場所を 探してうろうろ

 

YouTube見て ゲームして

子どもはだらだら 過ごして終わる

 

親は毎日 3食作り

自分の料理に あきてきた

 

コロナのころに 学校さっぱり

 

ネットに教材 いろいろあるが

何がいいのか 分からない

 

そもそも親が 言ったって

子どもはちゃんと やりゃしない

 

学校いつまで 休みなの

そろそろやってよ オンライン

 

コロナのころに 家族でまったり

 

出かけてないから 運動不足

せめては家で 運動しなきゃ

 

ムスコのリードで 筋トレしたり

オンラインでも ヨガしたり

 

さすがにずっと 家にはいられず

たまには外に 出かけてみたり

 

コロナのころに 子どもにうんざり

 

いつも一緒で ストレスたまり

だんだんもめごと 増えてくる

 

音がうるさい お菓子をとった

ささいなことで 口げんか

 

家を出ていく わけにもいかず

スマホを見ながら すみっこ暮らし

 

コロナのころに 親子でべったり

 

それでも結局 コロナのころは

一緒にいるのは 家族だけ

 

ゲームをやったり だらだらしゃべって

友達みたいに なっていく

 

勉強 仕事 はかどらないけど

元気で仲良く いるのが一番