エルサレムで主夫はじめました

~~~~~~~~ 30年間のサラリーマン生活から早期退職をして、イスラエルのエルサレムに家族で住み、主夫をはじめました。 ~~~~~~~~~~~~~~インターナショナルスクールに通う子供たちの様子、イスラエルとパレスチナの日常、主夫の心境などをつづります。 内藤 徹~~~~~

#39 すっぴんで、自分がむき出しな時代に?

昨日、久しぶりに電車に乗った。久しぶりというか、3月に日本に帰ってきてから初めて。座席は隙間なく座っているし、変わらず人は普通にいる。
ただ、マスクだけは98%ぐらいの人がしていて、今までとは違う。していない人を見つけるのは、ちょっとしたゲームのようだった。

白いマスクに、清潔感のある洋服の女性に目がいく。きっと、マスクが似合うファッションってあるよな。そういう特集とか、雑誌でやりそうだな、と思ったり。洋服にあわせてマスクを変えたりするようにもなるのかなぁ、とかいろいろ思う。

ふと、でも、なにか自分はそこにいないような、傍観者でいるような、そんな気持ちでいることに気づいた。そして、立ち止まって街の人々の流れを見ながら、急に、もう「スタイル」じゃないなぁ、と思った。なんだか、そう思った。
それは、多分、もう、なんとか風とか、いい感じに見せるとか、マーケティングとか、そういうんじゃないんだよなぁ、という思い。今年の流行とか、小洒落た場所とか、そういうのは楽しかったけど、そして、今でもいいなぁとは思うけど、でももう中心はそういうんじゃなくなったよなぁ、、と思った。

 

じゃあ、なんなんだろう?スタイルじゃなくって。
それは、人の生き方、ありよう、本質とか?
人そのもの、というようなものなんだろうか。

空気読んで、ポジショニングするんじゃなくて、自分はこれです、っていう生き方、あり方。スッピンで勝負、みたいな。そう、気持ち的にはスッピンだよな、やっぱ、これからは。

ちょっと別の話だけど、つながる話で、、
テレワークで、家で仕事をすることで、仕事の自分と家の自分のギャップに疲れたり、仕事に家の顔が出てきてキャラが崩壊した男性が結構いるような気がしている。
この数ヶ月zoomの中で、これまでの関わりでは見たことのない、知り合いの家庭での顔を、たくさん見た。そのことで、結果的に仕事や外の顔と、家の顔の統合が進んでいる気がする。

それもまた、もう仮面はかぶれないし、仮面を魅力的にしても今までほど効き目はないよ、ってことにつながる話なんだよね。オヤジも仮面という化粧をしていたけど、これからはスッピンでいくしかないんだよなぁ、と。スーツをわざわざ着ているのも、なんか違和感を感じたり。

そんな、スッピンで、普段着で、むき出しで、自分を正直に出していく社会に変わっていくなら、それはちょっと嬉しいし、楽しみだね。