エルサレムで主夫はじめました

~~~~~~~~ 30年間のサラリーマン生活から早期退職をして、イスラエルのエルサレムに家族で住み、主夫をはじめました。 ~~~~~~~~~~~~~~インターナショナルスクールに通う子供たちの様子、イスラエルとパレスチナの日常、主夫の心境などをつづります。 内藤 徹~~~~~

#16 冬休みを超えてムスメが吹っ切れてきた

早いもので、もう年が明けて1か月以上がたった。1月に入ってから、9歳ムスメは学校を1日しか休まず元気に通った。冬休みを超えて、何かが吹っ切れたようだ。

 

2週間ほどあった学校の冬休みは、日本から来た友人とも一緒にイスラエルパレスチナの国内旅行をした。ここのところ学校の体育もきつくて休みがちで、家に帰っても休日は外出を嫌がり家にこもり、体力も落ちてしまったムスメ。大人の観光地巡りにどこまで着いてこられるか不安もあった。でも、違った土地に行き、太陽も浴び、たくさん歩き、結果的には良い気分転換になった。

年末年始の旅行から帰ったのは12日の夜で、3日から早速学校が始まるスケジュール。子供たち2人は早く帰ってちゃんと学校に行く準備をしたがっていた。でも、バスが遅れて家には夜8時ぐらいに着いてしまった。このままだらだら行くと初日から休んだりしてまずいなあ、と思っていると、ムスメが自ら率先して早く寝ようとしていた。1月からちゃんと学校に行こう、という思いが本人もすごくあるんだ、とよく分かった。そして、うれしいことに翌朝しっかり起きて、年明けから順調に通いだした。

 

冬休みの直前に、校長と担任に僕が呼び出されて話をしたことも、ムスメなりに気にしていたと思う。やっぱりがんばって行かなきゃなあ、という考えがあらためてインプットされた感じ。冬休みの間、子供の休み明けがどうなるか気になっていたけど、それは本人たちも同じ思い。いや、親以上に当事者として気にしていたかもしれない、と思わされた。

不登校について調べると、「コップに水を満たすようにエネルギーが満ちれば行くようになる」、という話が良く出てくる。その考えは自分としても納得感があり、親として子供の成長と頑張りをなるべく言葉にするようにした。

16時間以上も英語だけで授業受けて大変だね」

「来たばっかりの時は一人でこんなことできなかったよね」

「急に分かるようになるわけじゃないけど、前より確実に分かるようになっているから焦らないで大丈夫だよ」

 

そして、実際学校に行きたくない経験を持つ何人かの人から、「何か毎日少しでも楽しいことを探して、それを支えにしていた」という話も聞いた。子供から学校の様子を聞き、少しずつ前に向くような気持になるきっかけを探して話をするようにしていた。

学校では思い通りにはいかないムスメにとって、前からやっているiPadのゲームや、クリスマスプレゼントのDSのゲームの中で、毎日いろんな仕掛けがあったり、そこでつながった見知らぬゲーム仲間のフレンドとのやり取りも、実は日々の活力に大事なようだった。朝起きるとまずゲームに向かい、家に帰るとまずゲームに向かう。それは、まるで大人たちがスマホに向かい知り合いとのやり取りやFacebookで知り合いの動向を見るのと同じようなものだ。そして、ちょっとしたやり取りで、ルーティンだらけの日常に刺激を感じたり、今いる場所から離れた世界に触れたりして気持ちを切り替えたりしているようだった。

 

そもそも、学校に行くのが目的でもなく、唯一の解決策でもないけど、ムスメ自体も学校に行きたがっているし、みんなと仲良くしたいという気持ちは強い。言葉が良く分からないなりにクラスメイトのことをいろいろ観察していて、誰と誰は仲がいい、とかよく見ている。そして、日本人の家で作らせてもらったアクセサリーをあげたいと言ってプレゼントしたり、クラスの女子を一人ずつ全員家に呼びたいと言ったりする。実際、親に連絡して学校帰りにクラスメイトが我が家で2時間半ぐらい遊んで帰ったりすることも増えてきた。見ていると、ほとんど会話はなく、一緒にパズルをやったり、絵を描いたり。なるべく子供たちの世界にしておこうと思いつつも、たまらず、僕がトランプやろうかと介入したりしつつ過ごす。

親としても、いろんな国の人たちとともに過ごす経験は、子供のこれからの人生にとってきっと良い経験になると信じている。経験者に聞くと、決して海外で幼少期を過ごした経験は楽しい思いよりもつらい思いやつまらなかった記憶が多いようだった。でも、いろいろ考えたり悩んだりする経験は、その後の人生に影響を与えるし、世界を狭く、身近に感じる体験は、その後の人生における活動範囲を変えているのは確かだ。実際、ここでNGOなどにて活動している人にも帰国子女があきらかに多い。そして、その人たちは決して子供のころに言葉を覚えたわけでも決してない。

親に頼っていたことを、少しずつ自分でできるようになってきた。学校の売店にて一人でクッキーを買えるようになったり、学校帰りに一人で友達の家に遊びに行けるようになったり。それを、タイミングを見ながら、適度に負荷をかけたり、成功したら褒めたり。まるで、ずっと後ろから手で支えて走らせていた自転車を、少しずつ手を離していくようなイメージ。

 

そして、ムスメの中でも、何か吹っ切れてきたような変化が出てきたようだ。これまでは、日本の学校のクラスや保育園時代からの友達と、実はあんまり連絡を取りたがらなかった。日本を思い出したくないのか、こっちでまだ調子が出ていない自分を知られたくないのか。でも、冬休みの旅行で、楽しい経験と気に入った写真が撮れたので、それをきっかけに、親のラインで日本とやり取りを始めた。

そのやりとりの中で、友達から「英語は話せるようになった?」との質問が来た。どう答えるかなあ、と見たら、「英語の先生はクリスマスには話せるようになるって言ってたけどそんなにしゃべれないwww」と答えていた。無理せず、正直に自分の状況を友達に話せるようになって、何か一つ自分の中で乗り越えた感じがするやり取りだった。

また、とある日曜の夜、一緒にお風呂に入っていると、いきなり「学校つまんねー」と大声で自作の歌を歌いだした。そして、「つまんねー」を一緒に声出して歌って、と言われ、一緒に大声で歌ったりした。特に日曜の夜は気が重かったり、でも明日からまた行かなきゃと思ったりと、自分なりの葛藤があるみたいだった。今までは、自分の中で「まじめに行かなきゃ、でも行きたくない、行けない」と葛藤していたみたいだった。それを、あからさまに「嫌だ」と言って、「でも仕方ないからがんばって行く」という風に考えようとし始めたみたいだ。それは、子供らしい「嫌なものは嫌」、という素直な世界からの脱皮であり、大人への成長なのかなあ、と思った。少しずつ、たくましくなっていく。

 

これまでは、ムスメの心はやや不安定で、相手にされないことや自分の意見が通らないことに激しく不満を示したり、悲しんだり、声を上げたりすることが多かった。ムスコとの激しい言い合いのけんかも、日本にいた時は子供同士のことと放置していたけど、ここではムスメの状況を考えるとちょっと放置できない感じだった。ムスコにしては、「なんでそんなことにそこまで過剰な反応をするの」という感じのことだけど、逆にそれだけにちょっと心配になっていた。

でも、1月に入り、学校に行くようになったのとともに、そんな不安定な状況も落ち着いてきて、ムスコとのやり取りも安心してみていられるようになった。ムスコも、いろいろ気を使ってくれているところもあるし、また毎日頑張って通っているムスコとしては、学校に行かないムスメに多少不満を感じていたようなところもあった。これまでも、日本にいた時以上に一緒に過ごし、楽しいことも多かったし、チームとして過ごしてきた感じだったけど、ちょっとしたことでけんかになったり、切れたり、うんざりしたり、ということも多かった。それが、最近は穏やかなやり取りや、家族みんなで一緒に映画やテレビドラマを見たり。妻も、ムスメと一緒にお菓子作りをよくするようになりました。やっと家族全体で良い雰囲気になってきた感じがする。