エルサレムで主夫はじめました

~~~~~~~~ 30年間のサラリーマン生活から早期退職をして、イスラエルのエルサレムに家族で住み、主夫をはじめました。 ~~~~~~~~~~~~~~インターナショナルスクールに通う子供たちの様子、イスラエルとパレスチナの日常、主夫の心境などをつづります。 内藤 徹~~~~~

#35 コロナで急遽一時帰国(その1)

残り3か月のつもりでいたタイミングで、新型コロナの影響で父子のみ急遽一時帰国となりました。先が見えない状況の中で、今後の予定も流動的になりました。忘れないように、一連の出来事を振り返って、記録しておこうと思います。

 

<序章:早い水際対策のイスラエル政府~入国制限、自宅隔離>

イスラエルは、コロナの感染者が国内で発生する前の早い段階から、厳しい水際対策をやってきた。早々に中国を始め、感染国からの直接入国の禁止や、帰国者へ14日間の自宅隔離命令を出す。隔離者には、SNSで毎日体調確認の連絡が入り、買物も指定する知人が玄関まで配達し、手渡しせず置いておくルール、という徹底ぶり。違反には罰金や禁固刑を可能にする法律も通ったらしい。やるときはやるイスラエル。やるときはやるネタニヤフという感じ。

そして、2月23日(日)、イスラエル旅行をしていた韓国人団体旅行者が、帰国後に感染していたことが判明したため、予告なしにいきなり韓国からの直接入国を止める。その晩にソウルから飛んできた飛行機は、お客を降ろさせずにそのまま送り返したらしい。で、なんと、その飛行機には、冬休みに一時帰国したまま帰らず、やっとイスラエルに戻ることを決めたムスメの一番の友達の家族も乗っていた。その話を聞いてムスメはがっかり。

そして韓国に続き、翌日24日(月)の朝8時からは、「過去14日以内に日本に滞在した人の入国を禁止する」と発表。これでもう、日本から直接イスラエルには来られなくなった。そして、「日本出国後14日以内の短期滞在の人は(自宅隔離対象等になるかもしれないので)明日の朝8時までに出国した方が望ましい」、という情報が流れた。短期滞在者の中には、あわてて帰国便を変更して空港に行ったにもかかわらず、逆に航空会社の搭乗拒否にあった人もいた。また、陸路でヨルダンに抜けるアレンビー橋に向かった人は、イスラエルを出国できたものの、ヨルダン側に入国を拒否されるなど、現場は混乱していた。そもそも、イスラエル政府内でも、当時は保健省と外務省等で意見が違うまま公表されたりして、情報も錯そうしていた。

ただ、この時点でのイスラエルの感染者は、ダイヤモンドプリンセス号で感染した2名のみ。アジア人がコロナ、と言われたりしているような状況で、地元の人には感染の広がりも危機感もさほどなく、日常の生活が続いていた。この状況ながら、ここまで厳しい対応をするイスラエル政府の素早い対応には驚いた。3月2日に選挙があるから、それを意識しての危機感演出なのか、なんて声も聞かれたが、結局選挙が終わってもその対応ぶりは変わらなかった。日本から仕事で赴任する人の中には、直接入国ができないため、隣国のヨルダンで14日過ごしてからイスラエルに入国する人もいた。

感染は、イタリアを始めヨーロッパ各地に広がった。感染拡大国からの入国者は軒並み14日間の自宅隔離対象となり、国によっては直接入国禁止に追加された。自宅隔離を意味するQuarantineという言葉が頻繁にニュースや周りで飛び交い、対象者が人口の1%を超えたのもこの頃だったと思う。周りの日本人や学校に子供が通う外国人家族も、結構な割合で自宅隔離対象になった。

3月上旬には、パレスチナ自治区内のベツレヘムで多数の感染者が出たため、いきなり市内の学校、観光施設、宗教施設が閉鎖になった。パレスチナ自治区は特に施設の不安があり、特に人口密度の高いガザ地区に感染が広がることが心配された。援助関係者は、引き続きパレスチナ地域で活動を続けていたが、西岸やガザに入る検問が閉じ、いつ活動が休止せざるを得なくなるかも懸念材料だった。

この頃の我が家の日常生活はまだ変わらず、子どもは学校に通い、休日はムスメが友達のバースデーパーティで一緒に映画を観に行ったり、パレスチナ自治区で仕事をしている日本人が遊びに来て、泊まっていったりしていた。妻も変わらず仕事に行っていた。「4月のイースターの休みが最後の海外旅行のチャンスだけど、行き場所が限られてきたな、自宅隔離になっても大変だから感染が広がっていない南アフリカにでも行こうか」、なんてことを考えて、知り合いに連絡を取ったりもしていた。

 

<第2章:生活が変わった~学校閉鎖、外出制限>

3月10日(火)、ついにイスラエルは、全世界を対象に入国後14日間の自宅隔離を決定した。まだ感染者50人、死者0人の段階で徹底した水際作戦を遂行。どんどん、先手先手に攻めてくる。イタリアでの感染拡大と医療崩壊による死者急増でスイッチが入り、アメリカへの感染拡大が決定的だった模様。アメリカを入国制限の対象国として個別に名指しすることで関係を悪化させることを避け、全世界を対象にしたとの話も広がった。

ロジカルには、これで海外からの感染流入はストップ。次はそれでも広がる国内の対策をどう打ってくるか。学校閉鎖、移動制限、公共交通機関のストップ、そして外出禁止令も出しそうな勢いを感じた。先を見越した人々が、食料品などの買い占めを始め、パスタやトイレットペーパーがスーパーで品薄になり始める。イスラエルは過去の戦争経験から、普段も1か月分ぐらい生活できる食料や日用品をストックしている人が多く、今はその在庫を増強しているだけだ、なんて話も聞く。

そんな中、皆で仮装をして街を歩き楽しむイスラエルハロウィーンのプリムというお祭りの時期がやってくる。コロナ対応でエルサムでのイベントは中止になり、昨年より少ないものの、街には仮装した若者や家族が歩き回っていた。マーケットで大勢の人が所狭しと夜な夜な集まる写真がネットで広がり、コロナ感染を考えない不届きものだ、との批判コメントも書かれる。

そして、3月12日(木)、夜8時からの首相のテレビ会見で、明日からの学校の閉鎖の決定が告げられる。何の前触れもなく突然に。発表によると、小学校低学年や幼稚園、保育園は一応対象外。で、うちの子のインターナショナルスクールはどうなるのか。保護者の間でSNSのやりとりが飛び交う。夜10時過ぎ、小学校、中学校、それぞれ校長からメールで、明日の学校はなしと連絡が入る。国の方針に基づく対応、との説明。早い。雨の中、ムスメにせがまれ翌日の仮装の道具を買いに行ったのに。

翌日の13日(金)、中学のムスコは実は遠隔授業の試行予定日だった。こんな事態がいつか来ることを想定して行う予定のつもりが、いきなり本番になった感じ。そこで、早速Zoomを使って校長が説明を開始。普段から、スマホやPCを使って生徒同士一緒に課題をやったり、ManageBacというソフトで課題を提出したりしているので、環境的にも問題なく皆適応しているようだった。
さらに、3月14日(土)夜、首相から外出制限の方針が発表される。「保育園、幼稚園も閉鎖。そしてショッピングセンター、レストラン、カフェを含む娯楽施設の閉鎖や、イベント、結婚式の禁止。会議など人が集まるのは10人以内。飲食の提供や食料品販売はOK。不必要な外出自粛、公共交通機関の使用自粛。そして、人と2mの距離を確保すること、握手やハグはしないこと。」などが告げられた。

翌日、街に出てみると、まだまだ人は出歩いていた。飲食以外の店は変わらずやっているところが多かった。レストランは閉まっていたが、カフェやシュワルマなどの食べ物を売る店は、路上のイスをたたみ、座席を10人以内にして営業を続けていた。行きつけのコーヒー豆屋に行って様子を聞いてみると、「あれは厳密にはルール違反だから、そのうちもっと厳しいルールが発表になるはず。郵便局は中に従業員もいるから、5人ずつの入場制限をして、朝は外の行列も2m置きに並んでいた」と言っていた。

その後、ムスメの小学校からは、学校に荷物を取りに来るように連絡があった。小学校は土日を含む5日間の休みの後、3月18日(水)からGoogleクラスルームを使った授業が始まった。先生方は努力して、オンラインで授業を継続する体制をなんと5日で整えた。すごい。機材やWifi環境に問題がある場合を相談するようにとの案内もあった。

しかし、小学校に関しては始めてみると親の負担が相当大変。毎日20通ぐらいメールが来て、そこにはそれぞれの科目のPPTや映像や課題が添付されている。中身を子供と確認しながら必要なものはプリントアウト。提出の指示がある課題は、写真に撮って翌朝9時までに送り返す。体育のエクササイズや、音楽まであって、ありがたいけど、メールを開いて指示を理解するだけで一苦労。Googleクラスルームの使い方にもなかなか慣れず、ムスメと並んでPCに向かいながら格闘。さらに、先生相手と違い、ムスメは言うことを聞かず、一人なので集中も続かず、横にいて様子を見ていないとなかなか勉強が進まない。

ただ、自宅オンライン学習になったことで、今まで見られなかった子どもたちの学校での様子が見えてきた。ムスコはZoomを通じて授業中にあてられて答えたり、質問したり、しっかり授業に参加している様子を見ることができた。ムスメも、僕が聞いても良く分からないような先生の授業のビデオでの説明を理解していて、2人ともすごいなあ、成長したんもんだなあ、とあらためて思った。

この頃から、毎晩のように首相の会見が開かれ、最新の方針が発表されるようになった。発表はヘブライ語だが、同時通訳の英語ニュースサイトや、エルサレムの在住日本人仲間で始めた勉強会で作ったメッセンジャーグループの中での情報交換、そして大使館からの連絡等で情報をとっていった。

そして、予想通り、そのうちカフェの営業もできなくなり、食料品を扱うスーパーなどの店と薬局以外は店も閉まり、外出も10分以内、100m以内に制限された。