イスラエル人と結婚した日本人女性とのメールでの対話は、その後も断続的に続いています。今回の話題は、「イスラエルのアラブ人」「エジプトとヨルダンの姿勢」「イスラエル人に対する差別」「ガザでの戦闘」「国家と個人」「軍隊と民衆」などについて。
ちなみに、あくまで一市民の立場として、個人的にどう思うかについての意見を聞いたものを紹介したもので、これが正しい見方というわけでも、またイスラエル人が皆このように考えるというわけでもありませんので、その点はご留意ください。
(僕(以降●))イスラエルとパレスチナのどちらも一枚岩ではなく、いろんな立場の人がいますよね。
(女性(以降◆))本当に、どちらも一枚岩ではないですね。でも、外から見る人は、難しくて分かりにくいので、アラブは〇〇、イスラエルは〇〇って、すっごいひとくくりにしたがりますよね。っていうか、そうするしか理解が追い付かないんでしょうけれど…。私だって気が付いたらそういう風に物事を考えていることがあります。
ある記事に、「この地域の状況は複雑で、ある程度単純化しないと理解できない。しかし、単純化して分かった気になるのが一番危険です。とはいえ、単純化しなければ現状をとらえることが困難で、一筋縄ではいきません。」 と書かれたものがあり、私の心に響きました。「特に単純化して分かった気になるのが一番危険」…というくだりです。
●すごく同意します。そして、一年以上ここに暮らしているけど、まだよく分からない。でも、分からない、という態度が大事だとも思ってます。
<イスラエルのアラブ人>
◆イスラエルのアラブ人とも20年近く共に働いてきました。そこで、彼らの世界の深さを少しだけ知ったような気がしました。これはこれでまた非常に興味深いものがあります。彼らのおじいちゃんおばあちゃんは、イスラエルがこの地を占領した時の生き証人です。彼らには、ガザや西岸に住む家族がいる。その人たちとの関係と考え方の違い、そしてアラブ人の中のキリスト教徒とイスラム教徒間の確執、彼らの生活に対する不満と満足、現在の戦争時の気持ち…。ユダヤ人とも、パレスチナ自治区のヨルダン川西岸およびハマス支配下のガザに住むアラブ人とも全く違った見方がここにあります。
彼らがお互いを「裏切り者」呼ばわりしている話を聞いたことは、私には衝撃でした。 そして、日本人の私から見ると「アラブ人」は同じひとまとめなのですが、実はその中でキリスト教とイスラム教の間、宗派の間、部族の間、しまいには家族間でものすごい勢いの争いが行われていて、それが生活の多くの部分を占めていることは、新たな気付きでした。結婚や住居や商売などに直接影響しているのです。
●分離壁によってユダヤ人と西岸やガザに住むパレスチナ人が物理的に会えなくなってしまったことで、相互理解が難しくなってしまいましたよね。そのことについて、僕はエルサレムに来てしばらくした頃、東エルサレムに住むアラブ人や、イスラエル国籍をもつアラブ人が、お互いをつなぐ架け橋にならないのかなあ、なんて軽く考えたことがありました。でも、今言われたように、実際はまさに裏切りものという関係でもあるんですよね。本当に複雑な関係ですよね。キリスト教とイスラム教のパレスチナ人がお互いをどう見ているかはまだ良く分からないです。部族社会的なところが強い、という話はよく聞きます。
<エジプトとヨルダンの姿勢>
◆それから、ヨルダンやエジプトの、パレスチナに対するあまりの冷徹さには、本当にパレスチナ人がかわいそうだと思ったものです。それがひいては国際社会の無責任なパレスチナの扱いに対する私の個人的な不満にもつながるのですが…。 アラブ社会は本当に奥が深いです。
●エジプト、ヨルダンが冷たい、というのは、第一次中東戦争でそれぞれガザとヨルダン川西岸を自分のものにしちゃうし、エジプトもヨルダンもイスラエルと和平条約を結んじゃったし、ってあたりですか。
◆エジプト(政府)とヨルダン(政府)が冷たいというのは、全然パレスチナのことなんか気にもかけていないという点です。別に彼らはパレスチナなんて国はなくてもいいと思っている。
日本は自分の国が直接的に関係しない分、パレスチナに優しくできますよね。実益も実害もないというか。一方、エジプト、ヨルダンは自分たちが国境を接するかもしれない国のことですから、ものすごいシビアですね。以前はガザとエジプト側の国境は開いていましたがハマス政権になってからは完全に閉鎖されていると思います。「パレスチナ人はお断り」というわけです。ヨルダンはそれでももう少し自由に行き来できるみたいですけれど、まあ、あそこはもともと人口の大多数がパレスチナ人です。難民受け入れが収入源にもなるところもあるので、構わないのかもしれません。
それでもヨルダンが、「イスラエルとヨルダンの間にはどんな国も絶対に作ってくれるな」とイスラエルに約束をさせているというのは、イスラエル人の中では常識だと思います。そして、ヨルダンでパレスチナ人が虐殺されている事件も起きているようですが、世界的なニュースになることはありません。
<国際社会の援助>
◆実はパレスチナ人とユダヤ人ってすごく似ているところがあると思うんですよ。世界中に散らばっていて、結構富豪がいる。パレスチナ人は教育程度が高いとも言われていますよね。そんなこともあって、建国したユダヤ人とそれができないパレスチナ人って何が違うのかなって考えるんです。で、決定的な違いは「国際社会」の態度じゃないかなって思うんです。
ユダヤ人は徹底的に世界中に嫌われていた。でも、パレスチナ人は欧米先進国社会に受けが良い。皆が皆「援助」を申し出ている。世界中に散らばっているパレスチナ人が、(ユダヤ人がそうやったように)本当に力を合わせれば建国なんて自力でできるはずなのに、その機会を奪っているのが実は「国際社会の援助」ではないか?と思うのです。パレスチナの援助の仕事にも関わって、援助とは何かを考えた時、援助するという時点で相手を一人前扱いしてない部分があるのは事実です。そして、パレスチナ政府はそれを利用することを覚えてしまった。そんな気がするのです。
<イスラエル人に対する差別、国家と個人>
◆イスラエル人は、いまだに世界中から差別されているときがあります。ユダヤ人差別が世界中に残っているのは事実だと思います。イスラエル人であることが許されない、みたいな扱いで。イスラエルを差別する人は、それが差別と気づいていない場合が多いのです。そして、イスラエルに対しては「占領している国だから、私が裁いても良い」と思う人が多いんですよね。
●「イスラエルは占領しているから、イスラエルの人は私が裁いてもいい」、という感覚があるのは感じます。なんか、イスラエルという国だけでなく、イスラエルの人も悪く言うことが正義、みたいな。 ひとつのポイントは、国と個人を分けて考えることかと思います。国のやっていることと、個人の人格は別だから。
イスラエル批判に関しては、いわゆるボイコットも僕は過剰な気がします。入植地で行われるビジネスについては僕も反対だけど、例えば今年イスラエルで開催されたユーロビジョン・ソングコンテストに、アーティストが参加をボイコットをした件は、僕はボイコットしなくていいと思いました。イスラエル国民はいい音楽聞いちゃいけないんかい?と思いました。企業進出のボイコットもしかりです。
◆先日のイスラム聖戦も、3日かそこらで300発もイスラエルにミサイルを打ってきた。それを非難する声って1つも聞かないんですけれど。今だって時々ハマスからミサイルが飛んできています。でも、ニュースにもなりませんよね。
●記事にならないのは、被害がガザで起きて記事になる時の被害に比べて小さいのと、被害を受けているのがイスラエル側だから、ということなんでしょうね。
まあ、経緯はいかであれ、「ユダヤ人はアラブに囲まれたアウェイな地に来てしまった。ので、強いぞ!って見せないとやられちゃう、と頑張っている、そして、アラブの国と仲間づくりもしている」、というのがイスラエル側。それに対してパレスチナ側は、「なんでそもそも来たの?という点で納得していない人と、現在進行形でやってることがひどい 〜入植地、戦闘被害の不均衡、占領による格差〜と思っている人がいる」、ということだと、僕は今理解しています。
◆ユダヤ人は、アウェイな土地に来たとは全く思っていないと思います。むしろ、今まで生活していた場所が完全なアウェイなのです。
●ガザに関しては、イスラエル側も被害者だと感じているなんてことは、パレスチナ支援側は思っていないですね。仮にロケット弾で逃げた、心理的負担があったなんて話をしても、ガザじゃ何人殺されてるよ、で終わりかと。そこは国家と個人なんですよね。国家や地域としては明らかにガザの方が被害が大きい。でもガザ近郊のロケット弾が飛ぶ地域の人は、心理的負担も含めて被害者だと思う。一方で、ガザにやられた以上にやり返すのは、後ろにイランなどがいるから、と言っても、それは国家間の話。ガザに住んでいる個人の立場からは、何倍返しするんだよ、ひどいな、ということかと。
<軍隊と民衆>
◆確かに国と個人を分けることは重要だと思います。 私に言わせると、パレスチナ政府とかハマスはそこのところを良く心得ていると思うのです。以下は私の想像上の理論ですが、ハマスやパレスチナ政府にとっての最大の武器はパレスチナの「民衆」なんです。
ハマスもパレスチナ政府にも「軍部」がありますけれど、そういう人たちが軍隊として出動する図って見たことないですよね。上から指示を出しているだけで。で、兵士たちは訓練を受けていない民衆なんです。本来ならばプロフェッショナルな軍隊が前に出て、民衆を守らなければいけないんですけれどね。軍対軍になると、国際法とか戦争法とかいろいろあるし、国際的にもイスラエルと同じ土俵に立って戦わなければならい。一般市民を攻撃したら非難されるとか、戦争にもいろいろとルールがありますよね。
軍隊を編成するのはお金も時間も労力もかかるし、軍編成のためには国際的な援助も受けられません。しかも軍編成って、クーデターという政府自身のリスクもある。だからそういう面倒なことはやらないで一般市民を使うんですよ。その方が楽だし、時間もかからないし、責任も問われないし、イスラエルにとって不利になるし、使い捨てだし…一石で何鳥にもなると思います。
●なるほど。それが想像上の理論なんですね。
◆イスラエル人はその部分、よーくわかっていると思いますよ。国を作った時は時間もお金も国際援助もなかったけれど、それでも軍を組織した。軍編成をしたときはクーデターっぽいものもあったし内部闘争もありました。まあ、建国前の話ですけれど、そういうことをいくつも乗り越えて今の国ができた。
そして民衆を兵隊にするために皆兵制にした。それだってよく「人数が足りなかったから」の一言でかたづけられることが多いですけれど、いや、国民を全員兵隊にするって、ものすごく大変なことです。実際、今でも大問題になっていますよ。アラブ人だけでなくユダヤ人でも兵役につかない超正統派がいますから、論争の的です。でも、敵方はユダヤ人の「全滅」を宣言してきたし、実際にヨーロッパで「全滅」させられかけた経験をした。その中で、本当に民族全部が決死の覚悟で国を作ったんです。
だから、ああやってしっかり民衆を統治することをせずに、報復がわかっているのに攻撃を加えるパレスチナ政府とかハマスを見ていると、「国を作る気、ないでしょう?」って思わざるを得ないんですよ。民衆を盾にしてイスラエルを国際批判にさらして、政府の役人たちはおいしい蜜を吸っている。そういう風にしか見れないのです。ちょっと話がそれましたけれど。
●なるほどね。軍隊と民衆の話は興味深いですね。確かにそこはイスラエル国民からする、そんな風に見えるんですね。最初だけ読むと、おいおい何を言ってるんだ、と思いましたが、最後まで読むと、そういう風に解釈する見方も僕には理解できます。実際、どういうことなのかは、勉強不足でまだ分かりませんが。
<ガザでの戦闘>
●それにしても、戦闘効果もなく、反撃されて自分たちの被害が大きくなるのが分かり切っているのにガザからロケット弾を撃つのはなんなんでしょう? 市民の声、気持ちを出して市民の支持を得るため?それとも、あえてやり返されることで、国際社会にアピールするためですかね?
◆「ほら!こうやってイスラエルを攻撃しているよ!」というところを民衆に見せないと、批判されますから。でも、それであんなにはっきり報復されたら、もう、民衆の絶望は計り知れないと思います。イスラエルに対しても自国の支配組織に対しても。
ダメージよりも得るものが多いからやっているのではないでしょうか?想像の域ではイスラエルが報復することで民衆に被害が出て外国諸国がイスラエルを非難する、ガザ内のパレスチナ人組織間の戦いで有利に立つ…そのくらいですかねえ、私が思いつくのは。
ガザの民衆がハマスのロケット攻撃を支持しているかは分からないですけれど、彼らにとってはハマスのミサイル攻撃とイスラエルからの報復はセットになっているのではないでしょうか。手放しには支持できないと思いますが、ハマスへの反対意見をどれほど口に出して言えるのかなあ、という気がしないでもないです。
ちなみに、今回のPIJ(イスラム聖戦)の件は、スタートはイスラエル側から始めた暗殺ですよね。PIJだって「自分たち」が被害を受けると分かっていたら、自分たちから仕掛けてきませんよ。
イスラエル軍には明確な優先順位があります。1.自国の民衆 2.自国の軍隊 3.パレスチナの民衆 です。精度の高い防御力と攻撃力はこの優先順位を守るために生まれました。アイアンドーム、ピンポイント攻撃、そして天井ノック。 開発への力の入れようも、この優先順位が明確に反映されていると思います。
●イスラエル側の優先順位は、まあそういうことなんだろうな、と納得です。そしてイスラエルにとって軍事的にも、また国民の意識的にも大きいのは、皆徴兵制であることでしょうね。建国の経緯に加え、皆徴兵制によって、「国を自分たちで守るんだ、という国民の意識が非常に高いこと」が、イスラエルを理解する上でとても大事だなあ、と思います。