エルサレムで主夫はじめました

~~~~~~~~ 30年間のサラリーマン生活から早期退職をして、イスラエルのエルサレムに家族で住み、主夫をはじめました。 ~~~~~~~~~~~~~~インターナショナルスクールに通う子供たちの様子、イスラエルとパレスチナの日常、主夫の心境などをつづります。 内藤 徹~~~~~

【コラム】パレスチナ問題ざっくりまとめ (「ぼくの村は壁で囲まれた-パレスチナに生きる子どもたち」より)

分かりやすくて初心者におススメの「ぼくの村は壁で囲まれた-パレスチナに生きる子どもたち」に基づき、パレスチナ問題をざっくりまとめてみました。

https://bookmeter.com/books/11705255

細かくはもっといろいろな経緯があり、また異なる見解もあると思いますが、基本の理解として参考まで。

 

<1.パレスチナ問題の概要>

(1)パレスチナの難民

UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の登録人数は587万人(2017年)

地域別には、ヨルダン川西岸100万人、ガザ144万人

ヨルダン229万人、シリア62万人、レバノン53万人

70年もの間、故郷に帰れないでいる

 

(2)3つの「見えにくい暴力」

①チェックポイント(検問所)

西岸に140か所以上

イスラエル兵がパレスチナ人のIDと荷物の検査を行う

渋滞、学校や仕事に遅れる、救急車が止められる、事件で封鎖される

 

分離壁

全長700㎞、2002年から作られる

1948年第一次中東戦争後の停戦ライン=グリーンラインより、イスラエルが勝手にパレスチナ側に入り込んで広げて作っている

2004年国際司法裁判所分離壁は違法と判断

 

③入植地

パレスチナの地域にイスラエルが違法に居住地を作る

入植地として選ばれる場所は、水が豊富、軍事的に有利、エルサレム市周辺

 

<2.ヨルダン川西岸、ガザ、エルサレムの状況>

(1)ヨルダン川西岸の状況

1948年に大量の難民が流入

1993年のオスロ合意により、3つに区分された。

エリアA パレスチナが行政権と警察権 17% 人口の多い市街地

エリアB パレスチナが行政権、イスラエルが警察権 24% 大きな村

エリアC イスラエルが行政権と警察権 59% 入植地、郊外

イスラエルが約150カ所の入植地を作り、40万人近くが住んでいる。

 

(2)ガザの状況

1948年に大量の難民が流入

2005年にイスラエルの入植地とイスラエル軍が撤退

2006年にハマスが国会選挙で勝利すると、イスラエルはガザを完全に封鎖

2008年から2014年に3回戦争、イスラエル軍の侵攻で壊滅的な打撃を受ける

人口の半分以上が18歳以下、失業率43%、若者の失業率は60%超

1日1ドル程度の貧困ラインで暮らす家族が80%(2016年)

 

(3)エルサレムの状況

イスラエルパレスチナ地域のヨルダン川西岸の境界に位置する。

西エルサレムイスラエル、東エルサレムパレスチナ人の地域。

現在イスラエルが東エルサレムも自国領土に併合している。

1947年国連分割決議 エルサレムはどこにも属さない国際管理地域

1948年第一次中東戦争 東エルサレムはヨルダン領に。境界線をグリーンラインと呼ぶ

1967年第三次中東戦争 東エルサレムを含むヨルダン川西岸をイスラエルが占領

西岸から東エルサレムを切り離し、イスラエルが自国領土に併合

統一エルサレムとし、1980年にエルサレム全域を首都と宣言

占領地を領土に編入することは国際的に認められていない

それゆえ、各国はテルアビブに大使館を置く

イスラエルは、東エルサレムに入植地を作り、土地を買収。

パレスチナ人を追い出し、ユダヤ化を進めている。

 

<3.なぜパレスチナ問題は起こったか~難民発生とイスラエルの占領>

(1)シオニズム

ヨーロッパでのユダヤ教の差別運動に対し、

シオンの丘(聖地エルサレム)に帰ることを目指す運動

2000年以上前にユダヤ人の王国があったパレスチナ

1897年に第一回シオニスト会議、アウシュビッツより前の話

 

(2)イギリスの3枚舌外交

オスマン帝国が支配するパレスチナを手に入れたい英国

WWⅠ(1914~1918年)英仏ロシアが連合を組み、オスマン帝国、ドイツと戦う

①アラブ人にオスマン帝国に反乱を起こせばアラブ国家を作ることを約束

ユダヤ人にシオニズムへの支援を約束(1917年、バルフォア宣言

③フランス、ロシアと領土分割を約束(1916年、サイクス=ピコ協定)

 

(3)米国の移民制限

WWⅠで英仏ロシア側が勝利(1918年)、オスマン帝国崩壊

パレスチナはイギリスの統治下となった

未知の地に行くシオニズム運動は広がらなかった

1880年から1924年 パレスチナへの移住は15万人、アメリカへの移住は200万人超

しかし、年に米国で移民を制限する法律が決まり、別の行き先としてパレスチナ

 

(4)ナチスの台頭

1933年にドイツ・ナチスが政権を獲得

追放、迫害、撲滅作戦を展開。

ドイツ、ポーランド強制収容所などで600万人を殺害

ユダヤ系移民が増えたパレスチナで、ユダヤ人とパレスチナ人との間で紛争が激化

 

(5)国連のパレスチナ分割決議→パレスチナ地域の線引き

1947年11月 国連分割決議が可決

パレスチナ人は、人口の70%と、土地の90%を持つにも関わらず、44%しか土地を与えられなかった。

エルサレムはどこの国にも属さない国際管理地域とされた

 

(6)イスラエル建国と第一次中東戦争

イスラエルの領土拡大と、エジプト、ヨルダンによる支配

1948年5月 イスラエルの建国宣言

反発するエジプト、シリア、ヨルダン、イラクなどのアラブ連合軍が戦争

イスラエルが勝利し、国連分割協議時の56%から拡大し78%の土地を入手

ヨルダン川西岸はヨルダンが、ガザはエジプトが支配、アラブ諸国も自国権益の拡大を優先

この時の休戦協定で結ばれた軍事境界線グリーンライン

→現在も国際的なイスラエルパレスチナの境界線と考えられている

130万人いたパレスチナ人のうち、70万人が難民となる

 

(7)第三次中東戦争

イスラエルによるエルサレム、西岸、ガザの占領

1967年 第三次中東戦争

イスラエル軍がエジプト、シリア、ヨルダンの3か国に奇襲をしかけて6日間で勝利

ヨルダン川西岸をヨルダンから、ガザをエジプトから奪い、占領

エルサレム旧市街も占領し、ユダヤ人地区が作られた、嘆きの壁に行けるようになった

エジプト領のシナイ半島、シリア領のゴラン高原も占領

 

<4.占領後のパレスチナの抵抗と和平の進展>

(1)占領に対するパレスチナ人の抵抗=第一次インティファーダ(1987年~)

1967年の西岸、ガザの占領以降、20年大きな暴動はなかった

1987年 ガザでの事件をきっかけに第一次インティファーダ=民衆の抵抗運動

1993年まで続き、1000人以上のパレスチナ人が亡くなり、逮捕者は数万人

 

(2)イスラエル政府とパレスチナとの和平合意=オスロ合意

1993年 オスロ合意 ラビン首相とアラファトPLO議長

占領地である西岸をエリアA,B,Cに分け、ガザと西岸のエリアAをイスラエルからパレスチナに返還

1995年 ラビン首相暗殺←オスロ合意に不満なイスラエル人により

1996年 アラファトは初の大統領に選出され、ラマッラにて暫定自治を開始

 

(3)オスロ合意後のパレスチナ人の抵抗=第二次インティファーダ(2000年~)

2000年にシャロンが宮殿の丘を訪問し、ここはイスラエルのものとスピーチ

これをきっかけに第二次インティファーダ開始

2001年2月シャロンが首相に

2001年9月11日に米国テロ、イスラエルテロとの戦いを前面に、アラファトを軟禁

2002年イスラエルが都市に大規模侵攻、分離壁建設開始、パレスチナ人は自爆テロ

ジェニン難民キャンプでイスラエル軍による虐殺が行われる

2004年アラファト死亡

第二次インティファーダの犠牲者 パレスチナ側3000人以上、イスラエル側1000人

 

(4)ガザの3度の戦争

2008年から2014年まで3度のガザ戦争で、大規模の空襲と軍事侵攻

最大規模なのが2014年夏のガザ戦争 51日間

パレスチナ側 死者2251人、うち民間人1462人、そのうち子供551人

イスラエル側 死者72人、うち民間人6人

 

<4.3つの疑問>

(1)なぜ、ホロコースト犠牲の国がパレスチナ人を迫害するのか

シオニズム運動によりパレスチナへの移民が始まったのはホロコーストの40年前

シオニストは少数の急進派

シオニストナチスと協力して、経済的に豊かなユダヤ人をパレスチナに移送した

大戦後、イスラエルにきたホロコースト生還者にシオニストは冷淡で蔑んだ

ホロコーストを政治的に利用し、イスラエルホロコースト犠牲者の国とアピール

 

(2)イスラエル市民はなぜ攻撃を支持するのか

周囲をアラブ諸国に囲まれ、戦争に敗れるとユダヤ人が滅亡する恐れ

中東で唯一の核兵器保有

男性約3年、女性約2年の徴兵制、その後も45歳まで年1か月の予備役あり

ガザからのロケット弾や第二次インティファーダでの自爆テロの恐怖

占領地の状況に無関心

 

(3)米国はイスラエルを支持するのか

強力なユダヤロビー団体、資金力、影響力

ユダヤ人人口は600万人、米国人口の2%

 

<5.イスラエル国内の3つの分裂>

(1)ユダヤ人の中での宗教的な人と世俗的な人との分裂

8割が世俗的、正統派(宗教派)と超正統派が2割程度

超正統派は補助金を受け、徴兵も免除されてきた

 

 (2)民族グループの分裂

①主に東ヨーロッパから来たユダヤ人=アシュケナジー

  シオニズムの最初の移民、建国前から主導権、欧米の価値観で中東的なものを軽蔑

②中東、北アフリカ地域から来たユダヤ人=ミズラヒーム

  もともと差別はなかったが、イスラエル建国により風当たりが強くなり移民

  欧米的社会システムの中で社会的弱者

  パレスチナ人に非同情的

  兵士の最前線でパレスチナ人と戦った、仕事を奪い合う関係

③ロシア系移民

  ソ連崩壊後経済的理由で移民

  インテリ層が多くハイテク産業を支える

  人口の1割、100万人規模

  半分はユダヤ教徒でない

  多くはヘブライ語を学ばず、独自のコミュニティで生活、独自の政党を保有

エチオピアユダヤ

  最も差別されており、貧困層が多い

  ユダヤ系人口を増やすために1980年代以降に戦略的に移送された

  約13万5千人

 

(3)ユダヤ人とイスラエル国パレスチナ人との分裂

イスラエル国民の約2割、約160万人がイスラエル国パレスチナ人(アラブ人)

1948年のイスラエル建国時に逃げなかった人たちとその子孫

イスラエル市民権をもつが、二級市民として差別される

国土の32%しか住めない

徴兵はなし、銃の携帯も認められない

西岸やガザのパレスチナ人からは、イスラエルの恩恵を受ける存在とも見られる

 

<6.イスラエル政府発行のIDカードによる分類と行動制限>

(1)イスラエル国籍のユダヤ

イスラエル政府がIDを発給

居住権は、東エルサレムを含むイスラエル、および西岸の60%の土地(入植地)である

イスラエルパスポート

 

(2)イスラエル国籍のパレスチナ

イスラエル政府がIDを発給

居住地は、イスラエル国家の32%のみ

イスラエルパスポート

 

(3)東エルサレムパレスチナ

イスラエル政府がエルサレムIDを発給

イスラエル側もパレスチナ側も移動可能

居住は東エルサレムのみ

イスラエル国籍を持たず、海外に行く際はヨルダンがパスポートを発給

ただしヨルダン国籍も持てない、ヨルダンの居住は不可

 

(4)ヨルダン川西岸地区パレスチナ

パレスチナ自治政府イスラエル政府の許可を得て発行する西岸ID

西岸の中の40%で居住

イスラエル側に行くのに許可が必要で簡単でない、ガザには行けない

イスラエル国籍を持たず、海外に行く際はヨルダンがパスポートを発給

ただしヨルダン国籍も持てない、ヨルダンの居住は不可

 

(5)ガザ地区パレスチナ

パレスチナ自治政府イスラエル政府の許可を得て発行するガザID

ガザで居住、ガザ以外には住めない

ガザから出ることも困難

パスポートはなく、ガザから出るときは複雑な手続きを経て旅行証明書をもらう

 

(6)IDなしの人

親がイスラエルパレスチナ以外の国籍や、違う国で出生した場合

エルサレム在住者でIDをはく奪された場合

ガザや西岸のIDを発行されて一生不利な人生を送りたくないため申請しない場合

IDがないと、仕事、家を借りる、医療や教育を受ける、検問所を通ることができない

 

以上