エルサレム訪問者なら、まず行くのが旧市街だろう。
だけど、子供は出かけたがらないし、1人で行くのもなぁと思っていて、13日目の土曜日に家族4人でやっと訪問。
我が家から歩いて15分ぐらいだけど、学校で毎日お疲れのムスメは徐々に不機嫌になり、テンションが上がる妻との間でみるみるギャップが広がる。
肝心の宗教施設は歩くには遠く、今回は断念。
いつになったら行けるんだろう?
それにしても、ユダヤの安息日でエルサレムの街中は静まり帰っていたのに、旧市街の中は別世界の賑わいでびっくり。
多くの観光客と売り子たちでひしめき合う。
狭い石造りの迷路のような路地を、店を冷やかしながら歩く。
前日には、日本人仲間にアラブ人エリアの東エルサレムにある通称アラブマーケットに車で連れて行ってもらい、水やら食材やらをたんまり買い込んだ。
こうして、僕らも少しづつ、アラブの世界を体験していく。
そして、日曜には家族で妻の働くラマッラのJICA事務所に行くことに。
ラマッラは、いわゆるヨルダン川西岸と言われるパレスチナ自治区の中の中心都市。
そこに行くには、イスラエル兵による検問所を通って行く。車で30分ぐらい。
「Al jibの検問所までタクシーで来て。そこで別の車が待ってるから、パスポートも持って来てね。」って毎日通勤する妻は言うけど、そんだけの説明じゃあ、ひとりならいいけど子連れは無理だからさ、ということで、別の日本人同僚家族と大型タクシーで一緒に行くことにした。
車で徐々に郊外に。給水タンクが白いのはイスラエル、黒いのはパレスチナと説明を受けた。
壁と検問所で明確に分かれてるわけじゃないから、どこがパレスチナ側かすぐにはよくわからない。
検問所の手前に着くと、タクシーを降りる。
イスラエル側のタクシーが検問所を通ってパレスチナ側に入ると、出るとき面倒なこともあるらしく、別の車に検問所の外のこちら側まで来てもらう。
ちなみにその車は外交用の白いナンバーで、これだと検問所もスムーズに行ける。
ということで、車を乗り変えて検問所通過。
昔、JICA本部で安全管理の仕事をしてた時には、パレスチナの検問所でイスラエル兵とパレスチナ人が小競り合いをして発砲、なんてニュースを治安情報でよく見ていたから、ちょっと緊張。
だけど、実際はドライバーが、おう!って感じで、止められることもなくするりと通過。
あれ、終わり?って感じで拍子抜け。
結局、行きも帰りもパスポートを見せることもなかった。
まあ、白ナンバーの車だから特別なのかもしれないけど、緊張感すら感じなかったよ。
ラマッラの街は坂が多く、狭いエリアに建物が密集している。
中でも近代的なビルの中に事務所がある。中も広くて立派。
ムスコも、すごいじゃん、と驚く。
歓送迎会ということで、事務所の現地スタッフも一緒に会議室でお昼ゴハンを食べる。
2年ほど前に日本に研修に来て我が家に泊まったことのある現地スタッフの女性が、ムスメと再会して大喜び。
彼女にラマッラの街の景色をみながら「どこら辺に住んでいるの?」と聞くと、いろいろ話をしてきた。
「わたしは難民キャンプに住む男性と大学時代に会い、恋に落ちて結婚したの。
結婚してからずっと難民キャンプに彼と彼の家族と住んでいたわ。
だけど、狭くて、抜け出したくて、お金を貯めて、土地を買い家を建てたの。
でも、今でも毎日難民キャンプに行き、小さい子供を親に預け、上の子を難民キャンプにある国連UNRWAがやってる学校に送っているわ。
帰りは役所に勤めている旦那がピックアップしてるの。」
JICAのスタッフなんて、仕事が少ないこの地では超エリート。
そんな彼女が難民キャンプに住んでいたなんてびっくり。日常なんだね。
難民キャンプという存在が、この話で急に身近になった。
そして、月曜夕方からは新年で学校も2日間休み。
みな家族で過ごすらしく、西エルサレムの街はお揃いの服を着た子供など、着飾った子供を連れた家族が多い。
そして、普段の安息日のようにまた店がのきなみ閉まっていた。