エルサレムで主夫はじめました

~~~~~~~~ 30年間のサラリーマン生活から早期退職をして、イスラエルのエルサレムに家族で住み、主夫をはじめました。 ~~~~~~~~~~~~~~インターナショナルスクールに通う子供たちの様子、イスラエルとパレスチナの日常、主夫の心境などをつづります。 内藤 徹~~~~~

#34 もう日本帰国まで4か月になってしまった

 早いもので、エルサレムに来て1年半。予定している6月末の日本帰国まであと4か月ほどになってしまった。ラストスパートに向かう準備段階に入ってきた感じだ。こちらの学校は8月末に始まり、6月末に終わる。我が家はちょうど8月に来たので、今度の6月で丸2年の学年が終わることになる。妻のこちらでの仕事は終わりが決まっておらず、あと1年ぐらいいる見通しで、6月は、僕と子供2人が先に本帰国することになる。

 

父子で先に戻ることにした一番の理由は中学3年になる上の子の高校受験のため。受験を海外に住みながら行うのは情報集め、勉強自体ともに非常に大変そうだし、2学年いれば帰国子女としての受験が多くの学校で可能になるので、ちょうど良いからだ。せっかく海外にいるんだからなるべく長くいたほうがいい、とアドバイスしてくれる友人もいた。妻もできれば一緒に長くいられる方がいいと言っていた。

 

ただ、妻の帰国時期は不確定で、どのタイミングで学校に編入するかも分からない。息子も、中学1年を1学期だけ終えて、友達と中途半端に分かれて来てしまったので、高校は最初から行きたいという。日本にいたらできたであろう、友達と自由に出かけたり、いろいろ語ったり、部活に没頭したり、という時間はここでは足りなかったのは事実。海外経験は確かに貴重なので、また高校に入ってから留学に行くとか、大学でどこか海外に出る、ということができればなあ、と思っている。

 

ムスメの方は、友達もできて学校にも元気に行っているけど、日本に早く帰りたいのは変わらず。僕もそろそろ日本に戻り、仕事や新しい暮らしを始めないとなあ、と思っている。ということで、結局父子で先に2年弱で帰国となった次第である。

 

最近の子どもたちの様子はこんな感じ。

小4のムスメは、実はちょっとしたチャレンジがこの冬にあった。2年目になってクラスにやってきた韓国人の子と9月から仲良くなり、お互いが認める一番の親友になったが、その子が年末に韓国に一時帰国したまま、帰ってこなくなってしまう出来事があった。学校の冬休みにお母さんと一緒に一時帰国したのだが、そのままお母さんが韓国にいることに決めて、その子も帰ってこないことになったらしい。

 

ムスメは1月の最初の登校日に学校の先生から聞かされ学校でも大泣きし、周りの先生やクラスメイトにすごく心配されたらしい。その子に会いに行くのが一番の楽しみで学校に行っていたムスメは、ちゃんと学校に行くかな、また行きたくなったりしないかなあ、と心配な日々を過ごすことになった。

 

ありがたいことに、学校の担任もわざわざお迎えに行った僕に声をかけてきて、学校でもみんなでフォローしますから、と言ってくれた。もう一人ムスメの仲良しの子が、上の学年にいるスイス人とフィリピン人のハーフの子。その子の親も、家に呼んでくれた。数日は元気もなく、自分も日本に帰りたい、と発作のように言い出したりしたけど、それでも1年目の学校に行かなくなってしまった時期とは違い、何とか自分で乗り越えようとしていた。

 

そして、驚いたのは、韓国に帰ったその子と、テレビ電話で1時間ほどの長話を2回もしたことだった。学校や、家で遊ぶときは、一緒にウンテイをしたり、ふざけ合ったり、ゲームをして遊んでいたが、テレビ電話でそこまで話ができるとは驚きだった。コミュニケーション能力が随分向上したし、気が合うと言語や国籍に関係なく、いろんなことがオープンに話せて分かち合えるようになる不思議なつながりだなあ、と思った。そして、突然何の前触れもなく友達がいなくなった寂しさもまぎれ、どうにかまた日常の学校生活を過ごすようになっていった。

 

 ムスコは、最近結構難しい学校の宿題をやっている。2人が通っている英国系のインターナショナルスクールは、国際バカロレアの学校で、決まった教科書はなく、各授業で配られたプリントを使っている。時にクラスメイトとSNSで情報交換をしながら、レポートを書いたり、PCを使ってプレゼンを準備したりしていて、なんか大学生みたいだなあ、と思ったりする。

 

ヒューマニティという日本の社会にあたる授業では、植民地主義多文化主義、科学の発展と宗教の扱いなどなど、なかなかスケールが大きく、世界を理解するために大切なことを学んでいる。数学の試験問題も、単なる個別の計算問題や文章題というより、試験全体で一連の問題を解く中で法則性を発見させるような、考えさせる問題を出していて、大人がやっても面白かったりする。成績も試験以外に普段のレポートなども評価対象になるようで、アメリカの大学のようだ。

 

日本に帰ってからのことを考えて、ムスコには海外の生徒向けの通信教育も始めてみた。だが、こっちにいると受験気分にもならず、なかなかエンジンはかからない。まあ、とりあえずは積み上げもので、2年のブランクを埋めるのはなかなか大変そうな、ムスコの数学とムスメの漢字を、帰国までにはそこそこやるぐらいでいいかなあ、と思っている。

 

 エルサレムの冬は、日本と同じぐらい寒い。そして、春から秋まではほとんど降らない雨が、冬の時期には結構降る。ので、出かけるのも億劫になり、家にこもりがち。ということで、最近は家族でゲームをやって過ごすことも多い。

 

特に最近はまっているのはCATANというボードゲーム。何人かから面白いよ、と勧められたが確かに面白い。下の娘でもできるし、毎回ボードの配置が変えられるので、変化もある。戦略性と、交渉能力と、サイコロの運が合わさって勝敗が決まり、なかなか奥深い。1時間半ぐらいで終わるのも手ごろ。一時期はまったものの、あまりに時間がかかり過ぎて途中で飽きてしまうモノポリよりも良い。それでも、途中で点差が開くと子どもらのやる気がなくなってくるので、負けている人が逆転しやすくなる特別ルールを考えたりして、遊びの中でちょっとした創造性も養ったりしている。大学時代にいた帰国子女の友達の家に行くと、家族が仲良くゲームなんかをやっていることがあったが、なるほどこういう環境がそういう家族関係を作るのか、と納得した。

 

 だんだん、暖かい日も増え、桜によく似たアーモンドの花も咲き始めた。そろそろ、残り少ない日々で、イスラエルパレスチナをもう少し見て周って帰ろうかなあ、と思ってる。

【コラム】写真で紹介:アイダ難民キャンプを歩いてみた@ベツレヘム

アイダ難民キャンプは、バンクシーの「世界一眺めの悪いホテル」から歩いて行ける近さで、あわせていくのがおススメ。今は治安も落ち着いている。現地ガイドか、この地に詳しい人と一緒に行くのが安心。

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キャンプの入口には大きなカギのモニュメントがある。難民キャンプに住む人のキーワードは「Key of Return」。いつか戻ると思って出てきた自宅のカギが難民キャンプの象徴。

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難民キャンプと言っても、起こったのは70年以上前の話。

1948年、イスラエル建国後に起きた戦争で、今のイスラエルに住んでいたパレスチナ人たちは逃げて、追い出されて難民となった。

このアイダ難民キャンプも、当時はテントがあった。その頃の写真がこれ。

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そこに、国連から小さい平屋の建物が提供された。

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その時の建物が今も残っている。

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でも、ほとんどの建物は、増築したり、建て替えたりしている。そして、今は、普通の狭い住宅街みたいになっている。だから、元難民キャンプだった場所にある難民が住む住宅街、と言った方がイメージしやすいかも。

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キャンプ内には、幼稚園もある。

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モスクもある。

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ここにいる子どもたちは、外国人が見に来ることに慣れているけど、変にすれてもいない。人懐っこく話しをしてくれる子供もいる。

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もともと住んでいた土地の名前が書かれた地図。

難民の数は、パレスチナ自治区となったヨルダン川西岸に100万人、ガザに144万人いる。他にも、ヨルダンに229万人、シリアに62万人、レバノンに53万人。

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 IDカードを描いた壁面アート。1948年、アイダ難民キャンプ産まれ。お父さんは監獄にいて、お母さんは殺された。

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「ここではタイガーだけが生き残れるんだ」それぐらい厳しい環境だった。

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入植地にやってきたイスラエル人が水をたくさんとっていき、パレスチナ人はそのわずかな余りをもらっていることを象徴的に描いた絵。

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入口にある少年の写真は何?と聞くと、ここで向こうの監視塔からイスラエル兵に打たれて亡くなった子供の写真だという。そして、殺されるところを父親が見ていたんだとも。

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2014年にガザで起きたイスラエルパレスチナの戦争で、パレスチナ側で亡くなった子供の名前がずらっと書かれている。

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今は落ち着いていてイスラエル兵を見ることもないけど、数年前はこのキャンプも、イスラエル兵が頻繁にやってきてパレスチナ人を連行したり、イスラエル兵とパレスチナ人の衝突が起きて催涙弾などが飛び交っていたらしい。

 

キャンプの敷地内にあるこの土産物で売っている金属のアクセサリーは、イスラエル側が使った催涙弾の残骸から作ったもの。

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催涙弾には米国製と書いてあるだろ」の店番をしている少年が教えてくれた。

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国連のパレスチナ難民を支援するUNRWAという組織が、今は教育と医療の支援を続けている。そして、これはサウジアラビアの支援により建設中の男の子の学校とヘルスセンター。

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ごみ処理施設を作ろうとしていたが、分離壁に近すぎるので、イスラエル側がストップさせたままになっているとのこと。現地ガイドは、「自分たちの土地ですらこうやってイスラエルにいちいち干渉されるんだ」、とぼやいていた。

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<アイダ難民キャンプを訪問したい方へ>

バンクシーのThe Walled off Hotel では、一日2回、アイダ難民キャンプとホテル周辺の分離壁アートを周るツアーをやっている。宿泊者以外も参加できる。

http://walledoffhotel.com/

また、例えば以下のツアーも、ベツレヘム分離壁や難民キャンプなどを訪問している。

https://www.tripadvisor.com/AttractionProductReview-g293978-d17223598-Bethlehem_Tour-Bethlehem_West_Bank.html

ちなみに、最近はAirbnbを通じて難民キャンプでの宿泊を体験することもできるらしい。

https://againstthecompass.com/en/dheisheh-palestinian-refugee-camp-bethelehem/

【コラム】写真で紹介:バンクシーの「世界一眺めの悪いホテル」と博物館@ベツレヘム

「世界一眺めの悪いホテル」は、エルサレムから車で約30分ほど。ベツレヘムの検問所からは徒歩で15分ほどの所にある。

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客室やカフェから見えるのは、イスラエルが2002年以降に作った高さ8mの分離壁と監視塔。

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ホテル近くの壁には、バンクシーによる「天使が分離壁をこじ開けている作品」がある。

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付近は分離壁で覆われ、その壁面には様々なアーティストから一般人までが書いたアートで埋め尽くされている。

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 ホテル併設のショップで道具を借りて、壁に絵を描いている人もいたりする。

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「世界一眺めの悪いホテル」の中に入ると、メッセージ性のある作品が並ぶピアノバーがある。

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一面に監視カメラが並んだ壁の脇で、自動演奏のピアノの音が流れている。ちなみに、ここは良心的な価格で、食事も美味しくておススメ。

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2019年のクリスマスシーズンに新たに公開された、分離壁の前でイエスが生誕する作品も展示されている。

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そして、ピアノバーの奥には、パレスチナのおかれた現状を分かりやすく説明したコンパクトな博物館がある。入場料は15シェケル(約450円)。

最初の部屋には、イスラエルパレスチナを分断する分離壁、検問所、入植地、そこに住む居住者用に作られた道路などに関する説明がある。

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パレスチナ人のIDが、イスラエルに住み国籍を持つ人、東エルサレムに住む人、ヨルダン川西岸に住む人、ガザに住む人の4種類あることが、実物で説明されている。

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催涙弾、ゴム弾、弾薬などの武器や、手錠などが展示されている。説明には、パレスチナ人がイスラエル兵によってとらえられ、拷問されたことなどが書かれている。

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ヨルダン川西岸や、東エルサレムでは、今でもイスラエルによる入植のため、パレスチナ人が不当に家を追い出され、建物が取り壊されている。

「もしあなたが30分後に家を取り壊されることになったら、何をカバンに入れて持っていきますか?」

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パレスチナ人の自治区内に作られたイスラエルの入植地の水道管(上)が、パレスチナ人の水道管(下)よりも数倍も太いことが実物から分かる。

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10分ほどの映像で、1948年のイスラエル建国以降、何がこの地で起きてきたのかを分かりやすく説明するオリジナル映像が流れている。

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パレスチナ人ジャーナリストが撮影した、イスラエル兵がパレスチナ人に行った様々なシーンを撮影した生生しい映像も流れている。本人の家にイスラエル兵がやってきて尋問されている様子も撮られている。

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2014年のガザの戦争では、パレスチナ側の死者2,202人に対して、イスラエル側の死者が73人と、30倍もの差がある。

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部屋に置かれた電話が鳴っていて、受話器を取るとアナウンスが流れる。

「これはイスラエル軍からの電話だ。これからお前の家を破壊する。出ていけ。ロケット弾が来るまであと5分だ。」

これは、今ガザで起きている現実のこと。

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こじんまりとした博物館だが、丁寧に見ると、パレスチナ側がイスラエル占領政策によりどのような苦しみを受けているかが理解できる。

バンクシーの作品と合わせて、是非訪問してほしい場所である。

#33 ぶっちゃけどうよ??イスラエル側日本人にパレスチナについて聞いてみた(その3)

イスラエル人と結婚した日本人女性とのメールでの対話は、その後も断続的に続いています。今回の話題は、「イスラエルのアラブ人」「エジプトとヨルダンの姿勢」「イスラエル人に対する差別」「ガザでの戦闘」「国家と個人」「軍隊と民衆」などについて。

ちなみに、あくまで一市民の立場として、個人的にどう思うかについての意見を聞いたものを紹介したもので、これが正しい見方というわけでも、またイスラエル人が皆このように考えるというわけでもありませんので、その点はご留意ください。

 

<一枚岩でないイスラエルパレスチナ

(僕(以降●))イスラエルパレスチナのどちらも一枚岩ではなく、いろんな立場の人がいますよね。

 

(女性(以降◆))本当に、どちらも一枚岩ではないですね。でも、外から見る人は、難しくて分かりにくいので、アラブは〇〇、イスラエルは〇〇って、すっごいひとくくりにしたがりますよね。っていうか、そうするしか理解が追い付かないんでしょうけれど…。私だって気が付いたらそういう風に物事を考えていることがあります。

ある記事に、「この地域の状況は複雑で、ある程度単純化しないと理解できない。しかし、単純化して分かった気になるのが一番危険です。とはいえ、単純化しなければ現状をとらえることが困難で、一筋縄ではいきません。」 と書かれたものがあり、私の心に響きました。「特に単純化して分かった気になるのが一番危険」…というくだりです。

 ●すごく同意します。そして、一年以上ここに暮らしているけど、まだよく分からない。でも、分からない、という態度が大事だとも思ってます。

 

<イスラエルのアラブ人>

イスラエルのアラブ人とも20年近く共に働いてきました。そこで、彼らの世界の深さを少しだけ知ったような気がしました。これはこれでまた非常に興味深いものがあります。彼らのおじいちゃんおばあちゃんは、イスラエルがこの地を占領した時の生き証人です。彼らには、ガザや西岸に住む家族がいる。その人たちとの関係と考え方の違い、そしてアラブ人の中のキリスト教徒とイスラム教徒間の確執、彼らの生活に対する不満と満足、現在の戦争時の気持ち…。ユダヤ人とも、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸およびハマス支配下のガザに住むアラブ人とも全く違った見方がここにあります。

彼らがお互いを「裏切り者」呼ばわりしている話を聞いたことは、私には衝撃でした。 そして、日本人の私から見ると「アラブ人」は同じひとまとめなのですが、実はその中でキリスト教イスラム教の間、宗派の間、部族の間、しまいには家族間でものすごい勢いの争いが行われていて、それが生活の多くの部分を占めていることは、新たな気付きでした。結婚や住居や商売などに直接影響しているのです。

 

  ●分離壁によってユダヤ人と西岸やガザに住むパレスチナ人が物理的に会えなくなってしまったことで、相互理解が難しくなってしまいましたよね。そのことについて、僕はエルサレムに来てしばらくした頃、東エルサレムに住むアラブ人や、イスラエル国籍をもつアラブ人が、お互いをつなぐ架け橋にならないのかなあ、なんて軽く考えたことがありました。でも、今言われたように、実際はまさに裏切りものという関係でもあるんですよね。本当に複雑な関係ですよね。キリスト教イスラム教のパレスチナ人がお互いをどう見ているかはまだ良く分からないです。部族社会的なところが強い、という話はよく聞きます。

 

<エジプトとヨルダンの姿勢>

◆それから、ヨルダンやエジプトの、パレスチナに対するあまりの冷徹さには、本当にパレスチナ人がかわいそうだと思ったものです。それがひいては国際社会の無責任なパレスチナの扱いに対する私の個人的な不満にもつながるのですが…。 アラブ社会は本当に奥が深いです。

 

 ●エジプト、ヨルダンが冷たい、というのは、第一次中東戦争でそれぞれガザとヨルダン川西岸を自分のものにしちゃうし、エジプトもヨルダンもイスラエルと和平条約を結んじゃったし、ってあたりですか。

 

◆エジプト(政府)とヨルダン(政府)が冷たいというのは、全然パレスチナのことなんか気にもかけていないという点です。別に彼らはパレスチナなんて国はなくてもいいと思っている。

日本は自分の国が直接的に関係しない分、パレスチナに優しくできますよね。実益も実害もないというか。一方、エジプト、ヨルダンは自分たちが国境を接するかもしれない国のことですから、ものすごいシビアですね。以前はガザとエジプト側の国境は開いていましたがハマス政権になってからは完全に閉鎖されていると思います。「パレスチナ人はお断り」というわけです。ヨルダンはそれでももう少し自由に行き来できるみたいですけれど、まあ、あそこはもともと人口の大多数がパレスチナ人です。難民受け入れが収入源にもなるところもあるので、構わないのかもしれません。

それでもヨルダンが、「イスラエルとヨルダンの間にはどんな国も絶対に作ってくれるな」とイスラエルに約束をさせているというのは、イスラエル人の中では常識だと思います。そして、ヨルダンでパレスチナ人が虐殺されている事件も起きているようですが、世界的なニュースになることはありません。

 

<国際社会の援助>

◆実はパレスチナ人とユダヤ人ってすごく似ているところがあると思うんですよ。世界中に散らばっていて、結構富豪がいる。パレスチナ人は教育程度が高いとも言われていますよね。そんなこともあって、建国したユダヤ人とそれができないパレスチナ人って何が違うのかなって考えるんです。で、決定的な違いは「国際社会」の態度じゃないかなって思うんです。

ユダヤ人は徹底的に世界中に嫌われていた。でも、パレスチナ人は欧米先進国社会に受けが良い。皆が皆「援助」を申し出ている。世界中に散らばっているパレスチナ人が、(ユダヤ人がそうやったように)本当に力を合わせれば建国なんて自力でできるはずなのに、その機会を奪っているのが実は「国際社会の援助」ではないか?と思うのです。パレスチナの援助の仕事にも関わって、援助とは何かを考えた時、援助するという時点で相手を一人前扱いしてない部分があるのは事実です。そして、パレスチナ政府はそれを利用することを覚えてしまった。そんな気がするのです。

 

イスラエル人に対する差別、国家と個人>

イスラエル人は、いまだに世界中から差別されているときがあります。ユダヤ人差別が世界中に残っているのは事実だと思います。イスラエル人であることが許されない、みたいな扱いで。イスラエルを差別する人は、それが差別と気づいていない場合が多いのです。そして、イスラエルに対しては「占領している国だから、私が裁いても良い」と思う人が多いんですよね。

 

 ●「イスラエルは占領しているから、イスラエルの人は私が裁いてもいい」、という感覚があるのは感じます。なんか、イスラエルという国だけでなく、イスラエルの人も悪く言うことが正義、みたいな。 ひとつのポイントは、国と個人を分けて考えることかと思います。国のやっていることと、個人の人格は別だから。

イスラエル批判に関しては、いわゆるボイコットも僕は過剰な気がします。入植地で行われるビジネスについては僕も反対だけど、例えば今年イスラエルで開催されたユーロビジョン・ソングコンテストに、アーティストが参加をボイコットをした件は、僕はボイコットしなくていいと思いました。イスラエル国民はいい音楽聞いちゃいけないんかい?と思いました。企業進出のボイコットもしかりです。

 

◆先日のイスラム聖戦も、3日かそこらで300発もイスラエルにミサイルを打ってきた。それを非難する声って1つも聞かないんですけれど。今だって時々ハマスからミサイルが飛んできています。でも、ニュースにもなりませんよね。

 

 ●記事にならないのは、被害がガザで起きて記事になる時の被害に比べて小さいのと、被害を受けているのがイスラエル側だから、ということなんでしょうね。

まあ、経緯はいかであれ、「ユダヤ人はアラブに囲まれたアウェイな地に来てしまった。ので、強いぞ!って見せないとやられちゃう、と頑張っている、そして、アラブの国と仲間づくりもしている」、というのがイスラエル側。それに対してパレスチナ側は、「なんでそもそも来たの?という点で納得していない人と、現在進行形でやってることがひどい 〜入植地、戦闘被害の不均衡、占領による格差〜と思っている人がいる」、ということだと、僕は今理解しています。

 

ユダヤ人は、アウェイな土地に来たとは全く思っていないと思います。むしろ、今まで生活していた場所が完全なアウェイなのです。

 

 ●ガザに関しては、イスラエル側も被害者だと感じているなんてことは、パレスチナ支援側は思っていないですね。仮にロケット弾で逃げた、心理的負担があったなんて話をしても、ガザじゃ何人殺されてるよ、で終わりかと。そこは国家と個人なんですよね。国家や地域としては明らかにガザの方が被害が大きい。でもガザ近郊のロケット弾が飛ぶ地域の人は、心理的負担も含めて被害者だと思う。一方で、ガザにやられた以上にやり返すのは、後ろにイランなどがいるから、と言っても、それは国家間の話。ガザに住んでいる個人の立場からは、何倍返しするんだよ、ひどいな、ということかと。

 

<軍隊と民衆>

◆確かに国と個人を分けることは重要だと思います。 私に言わせると、パレスチナ政府とかハマスはそこのところを良く心得ていると思うのです。以下は私の想像上の理論ですが、ハマスパレスチナ政府にとっての最大の武器はパレスチナの「民衆」なんです。

ハマスパレスチナ政府にも「軍部」がありますけれど、そういう人たちが軍隊として出動する図って見たことないですよね。上から指示を出しているだけで。で、兵士たちは訓練を受けていない民衆なんです。本来ならばプロフェッショナルな軍隊が前に出て、民衆を守らなければいけないんですけれどね。軍対軍になると、国際法とか戦争法とかいろいろあるし、国際的にもイスラエルと同じ土俵に立って戦わなければならい。一般市民を攻撃したら非難されるとか、戦争にもいろいろとルールがありますよね。

軍隊を編成するのはお金も時間も労力もかかるし、軍編成のためには国際的な援助も受けられません。しかも軍編成って、クーデターという政府自身のリスクもある。だからそういう面倒なことはやらないで一般市民を使うんですよ。その方が楽だし、時間もかからないし、責任も問われないし、イスラエルにとって不利になるし、使い捨てだし…一石で何鳥にもなると思います。

 

 ●なるほど。それが想像上の理論なんですね。

 

イスラエル人はその部分、よーくわかっていると思いますよ。国を作った時は時間もお金も国際援助もなかったけれど、それでも軍を組織した。軍編成をしたときはクーデターっぽいものもあったし内部闘争もありました。まあ、建国前の話ですけれど、そういうことをいくつも乗り越えて今の国ができた。

そして民衆を兵隊にするために皆兵制にした。それだってよく「人数が足りなかったから」の一言でかたづけられることが多いですけれど、いや、国民を全員兵隊にするって、ものすごく大変なことです。実際、今でも大問題になっていますよ。アラブ人だけでなくユダヤ人でも兵役につかない超正統派がいますから、論争の的です。でも、敵方はユダヤ人の「全滅」を宣言してきたし、実際にヨーロッパで「全滅」させられかけた経験をした。その中で、本当に民族全部が決死の覚悟で国を作ったんです。

だから、ああやってしっかり民衆を統治することをせずに、報復がわかっているのに攻撃を加えるパレスチナ政府とかハマスを見ていると、「国を作る気、ないでしょう?」って思わざるを得ないんですよ。民衆を盾にしてイスラエルを国際批判にさらして、政府の役人たちはおいしい蜜を吸っている。そういう風にしか見れないのです。ちょっと話がそれましたけれど。

 

 ●なるほどね。軍隊と民衆の話は興味深いですね。確かにそこはイスラエル国民からする、そんな風に見えるんですね。最初だけ読むと、おいおい何を言ってるんだ、と思いましたが、最後まで読むと、そういう風に解釈する見方も僕には理解できます。実際、どういうことなのかは、勉強不足でまだ分かりませんが。

 

<ガザでの戦闘>

 ●それにしても、戦闘効果もなく、反撃されて自分たちの被害が大きくなるのが分かり切っているのにガザからロケット弾を撃つのはなんなんでしょう? 市民の声、気持ちを出して市民の支持を得るため?それとも、あえてやり返されることで、国際社会にアピールするためですかね?

 

◆「ほら!こうやってイスラエルを攻撃しているよ!」というところを民衆に見せないと、批判されますから。でも、それであんなにはっきり報復されたら、もう、民衆の絶望は計り知れないと思います。イスラエルに対しても自国の支配組織に対しても。

ダメージよりも得るものが多いからやっているのではないでしょうか?想像の域ではイスラエルが報復することで民衆に被害が出て外国諸国がイスラエルを非難する、ガザ内のパレスチナ人組織間の戦いで有利に立つ…そのくらいですかねえ、私が思いつくのは。

ガザの民衆がハマスのロケット攻撃を支持しているかは分からないですけれど、彼らにとってはハマスのミサイル攻撃とイスラエルからの報復はセットになっているのではないでしょうか。手放しには支持できないと思いますが、ハマスへの反対意見をどれほど口に出して言えるのかなあ、という気がしないでもないです。

ちなみに、今回のPIJ(イスラム聖戦)の件は、スタートはイスラエル側から始めた暗殺ですよね。PIJだって「自分たち」が被害を受けると分かっていたら、自分たちから仕掛けてきませんよ。

イスラエル軍には明確な優先順位があります。1.自国の民衆 2.自国の軍隊 3.パレスチナの民衆 です。精度の高い防御力と攻撃力はこの優先順位を守るために生まれました。アイアンドーム、ピンポイント攻撃、そして天井ノック。 開発への力の入れようも、この優先順位が明確に反映されていると思います。

 

 ●イスラエル側の優先順位は、まあそういうことなんだろうな、と納得です。そしてイスラエルにとって軍事的にも、また国民の意識的にも大きいのは、皆徴兵制であることでしょうね。建国の経緯に加え、皆徴兵制によって、「国を自分たちで守るんだ、という国民の意識が非常に高いこと」が、イスラエルを理解する上でとても大事だなあ、と思います。

#32 ぶっちゃけどうよ??イスラエル側日本人にパレスチナについて聞いてみた(その2)

イスラエルパレスチナに関する日本人女性との対話の前回の続きです。

ちょうどイスラエルによるガザでのイスラム聖戦司令官の殺害をきっかけに、ガザからイスラエルに対しロケット弾が飛び、イスラエルによる空爆の応酬があった後のやりとりです。

https://www.bbc.com/japanese/50429248

 

以下、2019年11月14日のメッセンジャーでのチャットより

(僕(以降●))イスラエルによるガザでのイスラム聖戦司令官の殺害と、その後の報復合戦で、テルアビブ方面は落ち着かない日々かと思います。

 

(女性(以降◆))何とか停戦になりましたね。イスラム聖戦側は「停戦」とは言いませんが。まあ、ハマスやイランと言った後ろ盾がなければ力の差は歴然としていますね…。

 

パレスチナ側の報道は、当然のごとく、パレスチナ側がどれだけ被害を受けたかが報道されています。今回も子供たちなど民間人が巻き込まれていることが伝えられています。そして、イスラエル側に比べたパレスチナ側の被害の大きさが語られています。これも毎度のことですね。

 

◆テルアビブの南の私の主人の親戚が住む街は、今回ガザからのミサイル攻撃を受けました。主人の姉には小さい子供もいるので、空襲警報が鳴ってシェルターに逃げ込むのは本当に大変だったようです。とは言え、これは別に初めてのことではなく、何年か前も同じようなことが何度も起こっていますし、ガザ周辺に住んでいる人はそれが何年も続く日常です。

そういう日常を過ごしていると、今回のように、イスラエルハマスの紛争をあおり続け、ガザからのミサイル発射の指示を下していた人物が暗殺されたことは、うれしいことなのかもしれないです。

 

エルサレムの日本人は援助関係者が多く、ガザに頻繁に出入りしてガザのパレスチナ人を支援している人も多いので、テルアビブとは大分状況も、今の状況の見方も違います。

 

◆多分、世界とイスラエルの認識の大きな違いの一つに、「テロリスト」が何かの定義づけがあると思います。今回の爆撃によってガザで殺された人物は、イスラエルに言わせると大部分が「テロリスト」です。

 

●ただ、今回も民間人に犠牲が出ているのも事実ですよね。ガザでイスラエル空爆をする際には、その前に警告をして民間人に怪我が出ないように配慮をするとも聞いていましたが、今回の状況につきガザにいる人に間接的に確認したところ、今回小さな建物を空爆する際には警告なしでやっているケースもあるとのことでした。また、学校も空爆されているようですね。

イスラエルを狙うテロリストを暗殺するということ自体は分かりますが、民間人や子供の犠牲に関しては、国際社会も、パレスチナ側も、問題視します。今回も、空爆で30人以上死んでいるガザに住む人は、自分自身が死ぬ可能性があるゆえの恐怖や怒りを感じているはずで、それはイスラエル側の警報以上に切実だろうと思います。比較するような話ではないのかもしれませんが。

だから、ガザはここまで力の差が歴然としていても、現地で攻撃をすることが支持され、デモで死んでいくこともいとわない若者が育っていくのかなあと思います。希望がないこともあいまって。それはとても悲しいことだと思います。

 

◆ガザの民間人に犠牲者が出た。イスラエル側は犠牲者がいない。=イスラエルが悪い。とても簡単な構図ですよね。イスラエルが民間人側に犠牲が出ないためにどれほどの犠牲を払っているか、国際社会は多分考えたことがないと思います。

イスラエルは基本、攻撃より防御です。今年、イスラエルの民家にミサイルが着弾した後も、報復までにけっこう時間がかかりました。もちろん報復するのは明け方が一番良いという戦略的な意思決定があるのもそうなんですけれど、翌日の学校や、地域のシェルターのために地方自治体に連絡したりと、防御をまず完全に整えてから報復に出ます。言い換えれば、防御できない場合にはイスラエルは攻撃しません。それは、イスラエルは、防御が出来なければこの国が終わると信じているからです。

 

●そういう認識なんですね。

 

◆そして、ハマスは、病院やモスク、教育機関を武器庫にしています。さらに、ハマスは、イスラエルの民間人に対して攻撃してきます。それについて国際社会は何の批判もしない。イスラエルがそれに対してできることはとにかく民間人を殺されないようにすること。あんなに正確な迎撃機、アイアンドームができたことは偶然でも何でもありませんよ。

ハマスイスラム聖戦も子供やお年寄りを狙っています。イスラエルの幼稚園にミサイルが着弾することもしょっちゅうですよ。イスラエルは自国民を殺したくないので、それに備えているのです。

イスラエル人が殺されるまで待たなければ、反撃は許されないですか?「幼稚園や民家に着弾しただけで誰も死んでいないのだから反撃はするな」。国際社会がイスラエルに求めているのは、そういうことのように感じます。

正直なところ、私はこの国の将来が自分のこと以上に心配なので(私の子供の将来なので)、感情に流されまくりです。適切でないことも書いたかもしれません。 個人のつぶやきと思って聞き流していただければと思います。

 

●なるほど、イスラエルの未来が自分の子供の未来、というのはまさにそうですね。そう思うと、国の行方も、セキュリティも心配ですよね。昔は、今僕が住んでいるエルサレムの近所でもテロが頻発していた時代がある訳ですし、これからもどうなるか分からない、という思いなんですね。

 

◆私は、パレスチナ支援関係者がパレスチナという国を本当に作りたいんだったら、イスラエルの建国の軌跡をしっかりと学ぶべきだと思います。パレスチナのように世界中から支援を受けたわけでも、国連からどんどんお金をつぎ込んでもらったわけでもないイスラエルが、なぜ建国できたのか。「正しい支援とは何か」に対するいろいろな答えがこの二つの対照的な国の歴史から学べると思うのです。こんなに身近に建国のお手本があるのに、「悪い、悪い」というばかりで何も学ばない。被害にあった当事者ならともかく、なぜ日本人がそれをやらないのか理解できません。

 

イスラエルの建国に学ぶべき、というのは自分たちが新しい土地で、自力で国を作ったところですか。

 

◆そうですね。ゼロだったところに国というものを作り上げた。世界にあまり例を見ない事象です。

 

●確かに、それはすごいことです。そして、ユダヤ人が安住できる国を作りたかったことは賛同しますが、イスラエル建国により、その地に住んでいたパレスチナ人を追い出したこと、そしていまだに西岸や東エルサレムで入植や追い出しを続けていることは、僕は賛同できません。ただ、この地での建国はイギリスが認めているわけで、ユダヤ人が勝手にやってきて追い出したわけではないと言えばそうなんですよね。そういう意味でのイギリスの罪は重いですね。

 

◆当時のイギリス政府の3枚舌外交の罪は重いですが、イスラエルの建国は国連が承認しています。「国連は信用ならない!」と怒りつつこういう時だけ国連を持ち出すのはずるいのは分かっていますけれど、イスラエル建国は国際的にも認められたのは事実です。賛成33か国、反対13か国、棄権10か国、これで認めさせた。でも、それよりも重要なのは、建国したその国が機能しているという事実だと、私は思います。

時代背景その他はいろいろ違いますけれど、現在国連をはじめ、パレスチナを支援している国はイスラエル建国を認めた、たったの33か国よりもたくさんあると思います。しかも、パレスチナは「独立宣言」もしているのです。

もちろんイスラエルも問題はたくさんあります。すべてが正しかったとはみじんも思っていません。「イスラエル建国」の話をすると多くの人は「でもアラブ人が追い出された」とか「先住民を追い出して」という方に目が行きがちです。それはそれで事実なんですけれど、それとは別の事実、「国を作った」というところにフォーカスをしてみると、多くのことが学べると思います。

私は国際社会がイスラエルの行動について批判をするとき、いつも思うことがあります。「それなら代替案を出してくれ」と。 イスラエルだってこれが最良と思ってやっているわけではありません。でも、仕方がないのです。それを国際社会は「ダメ、ダメ、ダメ」と。それならば、どうすればよいのですか?「より良い案がないならは、他人が、あれはダメ、これはダメと簡単に言うな」と思います。あれがダメ、これはダメと言うのはとても簡単なことです。イスラエルは国際社会以上にそれを考え尽したうえで代替案がないために、自分たちが殺されないためにその案を採用しているのです。

 

●自分たちが殺されないために、なんですね。根っこのところで、自分たちがまたこの地を追われる、という恐れがあるんですよね、きっと。そこが、イスラエルの人達や国家の行動を理解するうえでとても大事な気がします。

僕は、パレスチナの問題は開発の問題というより、イスラエルとの関係における人権の問題であり、また格差、差別の問題だと思っています。ので、生活改善のための開発は、現在の問題に対しての根本的な解決のためのアプローチではないかと。ただ、政治的なアプローチは政府機関もNGOも、イスラエル政府のもと、やることはできないので、しょうがないと言えばしょうがない、という感じだと思います。そのことは、やっている人もある程度分かっていて、できる範囲で工夫してやっている、ということだと思います。

 

◆「政治的なアプローチはイスラエル政府のもと、やることはできない」といいますが、外国がそれをやるのは内政干渉なのではないでしょうか?どの国も、例えば他国のNGOや政府が他国の政府の決定に関して覆したり変更する権利はないと思います。
ただ、「発言の自由」や、「言いたいことを言える相手」という点だけ見れば、それはパレスチナ政府よりもイスラエル政府相手の方がよっぽど自由度が高いというのが私のイメージです。

イスラエルにはアラブ人が作った政党もあります。イスラエル建国ですべてのパレスチナ人が土地を追われたと思っていらっしゃる方もいますが、そうでないパレスチナ人もいますし、そういう人たちはイスラエルで国民として普通に暮らしています。

パレスチナイスラエルに協力して何かの活動をしているといううわさが一回広まったら、たとえそれがどんな活動であろうと許されないと思います。それを考えたら、政治的な自由度が大きいのはイスラエルであることは間違いないと思います。

「援助関係者には影響力がある」という考え方がありますが、その援助関係者が「当事者同士の歩み寄りや会話を促す」方向に向いていなく、当事者同士が考えたり意見を交換する機会を奪う方向に向かっている気がします。

 

パレスチナ側から見たイスラエルは、国内政治ではなく、パレスチナ側に対してやってきていることを見て判断されているので、イスラエルが民主的で寛容な国とはとても思えないでしょうね。援助が当事者の歩み寄りを促す方向に向かっていない、という意見は、他のイスラエル側の方からも言われたことがあります。僕は、まだその意見はぴんときていませんが、なんとなく気になっています。また、最近聞くのは、パレスチナ国家の樹立なんてもう無理で、イスラエルと一緒になる一国家での解決というのが現実的という声です。一方で、一国になると困るのはイスラエルという話もあり、どこに向かうのが解決策なのか分からないですよね。

 

◆一国になると困るのは実際にイスラエルなのは周知の事実です。「ガザも西岸もイスラエルの土地」などと考えているイスラエル人はほんのひとつまみの狂信的な人だけだと思います。

 

●ところで、僕が今思うのは、日本人でもイスラエル側とパレスチナ側で理解や話ができないようでは、当事者の理解なんて到底できないだろうな、ということです。

 

◆「外国人同士がイスラエル側とパレスチナ側に分かれて理解ができないなら当事者の理解はとてもではないが無理」という考えは、とても賛成です。

それでも、世界的に見れば「イスラエル側についている人」というのはあまりいないと思います。

ユダヤ人は今でも、アメリカでも、ヨーロッパでも様々な差別を受けていますから。イスラエル側につく人間というのは日本人を除けばユダヤ人しかいないというのが現実、という気すらします。まあ、半分冗談、半分本気ですけれど。

 

●個人の感覚として、イスラエルにいてもいまだにユダヤ人は差別されている弱者という感覚でいるんですね。それはちょっと意外です。国家という意味では、結果的にはアメリカを後ろ盾にし、国際社会の声も聞かず、強い軍事力を誇る強者に映っていると思います。その強い国家により、パレスチナは弱者として痛めつけられている、という感覚でいると思います。その国がやっていることと、個人の思いのところに大きなギャップがあるようにも思います。もしかしたら、パレスチナ側が、イスラエル国民の弱者の意識や思いを理解することで、新しい関係みたいなものが見えてくるかもしれないですね。まずは、パレスチナに関わる外国人からでも。

エルサレムにいると、パレスチナ人の視線のみで、親イスラエルの見方に感情的になる人、イスラエル人に対して最初から決めつけて見てしまっている人がいるのを感じます。一人一人の人間の性格や考え方の問題でなく、国やシステムや歴史的経緯の問題なのに。まあ、パレスチナ人とともに過ごし、彼らの身の回りで起きている話を日々聞くと、そういう思いになるのは分かる気もます。ただ、僕はそういう関わり方をしていないから、少し距離をおいて見えているように思います。

一方、イスラエルと結婚するなどしてテルアビブなどに暮らしている日本人は、パレスチナ地域は危ない場所として、入ったこともない人がほとんどではないでしょうか。別に一般のパレスチナ人はテロリストでもなく、実際は、人懐っこく、日本人に対して親近感を持っている人たちなのに。

 

◆そうですね。

 

●ぜひ、これをきっかけに、いろいろ話をする機会ができるといいですね。あと、テルアビブ方面の人に、例えばベツレヘムを案内する機会なんかを作りたいですね。

#31 ぶっちゃけどうよ?イスラエル側の日本人にパレスチナについて聞いてみた(その1)

最近、テルアビブ方面に住む日本人女性と、パレスチナイスラエルに関する対話をメッセンジャーで始めた。

これまでは、パレスチナ側から見た意見をずっと聞いてきたけど、イスラエル側にも当然それなりの考えや背景があるはず。最近、もっと知りたいと興味を持ちはじめたけど、パレスチナの状況も知りつつ、イスラエル側に立ってこの件を話せる人が身近にはなかなかいなくて。

その女性は、テルアビブ方面に住み、イスラエル人と結婚して、パレスチナ支援の仕事に関わってきた経験もある人。イスラエルから見たパレスチナについて聞いてみたところ、いろいろ考えがあり、ずっとやり取りが続いた。そして、対話をしながら「こういうの書かれたの読んでみたいよね。」という話になり、なら僕のblogに載せようか、ということになった。

彼女は、「あくまで個人的な意見なので、イスラエル人が全員同じ考えではないし、私も間違っているかもしれません。そして、私が「パレスチナ」と言うとき、私の中では「パレスチナ政府」と「パレスチナの市民」は完全に別物としてとらえています。あと、お互いの悪いところをあげつらうのでなく、お互いの良いところを書けるようになりたい、心の底からそう思っています。」と思いを伝えてきた。

僕もまだまだ勉強不足で分かっていないことが多い。こちらにいる日本人には、研究者、記者、援助関係者など、僕なんかよりよっぽど現場で生の声を聞いたり、過去の経緯を文献で読み、詳しく知っている人がいる。そんな人からすれば、未熟な会話かもしれない。だけど、世の中にあるものはそれぞれ片方の立場から書かれたものがほとんどで、どこで話がこじれているのか良く分からない。なので、対話をあえて掲載することで、お互いの食い違いに気づき、少しでも相手を理解する糸口になったり、もっといろんな意見を聞くきっかけになればよいなあ、と思っている。

では、まず1回目のやり取りから。

 

以下、2019年11月8日のメッセンジャーでのチャットより(抜粋、適宜修正)

(僕(以降●))イスラエル人と結婚していて、パレスチナ支援の仕事をしていたというのは、この国においては特別な立場にいますよね。どんな思いでいるのか興味あります。

 

(女性(以降◆))ラビン首相暗殺後の第2次インティファーダイラク危機、レバノン戦争やガザ占領からの撤退といった、イスラエルパレスチナを取り巻く環境もそのたびに大きく変わりました。 9.11やISの台頭という世界的にも大きなうねりがある中、イスラエル人の家族を持ちながらパレスチナ支援をするという、とても貴重な人生の体験をさせていただいたと思ってます。

 ●この間、ベツレヘムに日本人ガイドの案内に同行して行ったけど、イスラエルからみたパレスチナの話が聞けて面白かったです。パレスチナ支援関係者なら怒り出しそうな説明でしたが。オスロ合意後の話も両者でまるで違う認識で、まさに個人の喧嘩と同じ。それぞれの認識と正義が違うんだなあ、とあらためて思いました。エルサレムの僕のまわりはパレスチナ支援関係者が多いので、これまでそちらの視点ばかりで見てしまっているなあ、とも思いました。

 

◆そうですね。もう、建国の時からの認識が全く違います。イスラエル的には、当時この土地を統治していたイギリスから建国の許可を得ていますし、国連からも許可を得ています。国境に関しても、国連の決めたラインを承諾しました。

そういった手続きを踏んだ上で建国したにもかかわらず、周辺諸国が戦争を仕掛けて来た。そこで受けて戦ったところ、勝って領地が拡大した。けれど、そうなったら今度は、戦争を仕掛けて来た国や、国際社会が、「イヤ、国連が決めたラインまで戻れ」と言い出した。

「いや、イスラエルとしては国連で承認された建国の条件を承諾したのに、それがイヤだと言って戦争を仕掛けて来たのはあなた達ですよ」、と。「それを今更戻れとはどういう事ですか?」という感じですね。

パレスチナについては今まで国を持っていたこともないし、この土地を統治していたこともなかった。イスラエルが死ぬ思いで建国した途端に、ここは自分の国だと言い出した。正しいか間違っているかは別問題としても、そういう認識なのです。

 

●なるほど、パレスチナ側は今まで統治していたわけでもないし、手続きも踏んでいるから、あくまで隣国、という認識になるんですね。そして、確かに戦争を仕掛けたのはアラブ側ですね。そこは僕もそうだと思います。でも、そこにいた人を追い出したじゃん、そして大量の難民が発生して今も戻れていないじゃん、とパレスチナ側は思ってますよね。

 

◆国という意味では、現代の国という認識と、中東地域の以前の家長制度??王国制度??の国とは、全然モノが違います。正直、中東地域の政治的なことが書かれている日本語の本は、ほとんどパレスチナ寄りです。やっぱり「パレスチナ=かわいそう」という本でないと日本では売れないと聞きました。

 

●でも、パレスチナ支援関係者は、パレスチナで起きている事実の割に報道が少ないと言ってますよ。まあ、イスラエルはいまだ入植や人権侵害をしてるから、そこは不利ですよね。パレスチナ人にとっては、入植も検問や移動の不自由、追い出しにより戻れないままの70年はすべて不本意だと思います。

 

◆人権侵害というのもなかなか抽象的で難しい話だと思います。パレスチナ政府も一般市民の人権侵害はたくさんしていますし、イスラエルに対して、パレスチナ一般市民を攻撃するようにあの手この手を使ってきます。病院やモスクを武器庫にしたり、幼稚園の近くに軍事攻撃基地を作ったり…と。パレスチナは、メディアが一番の武器ということをよく心得ているのです。そして、難民はいつまでもかわいそうな難民でいなければならない。それがパレスチナ政府の収入源でもあるからです。

検問所については、あの検問所でどれほどのテロを未然に防いでいるか、何人のイスラエル人の命が守られているか。さらには、テロを実行していたら失われたパレスチナ人の命、そしてテロが実際に起きてしまった場合に勃発する危険がある紛争で失われるであろう命が守られているか、外国人にはわからないのだと思います。

イスラエルの国境は、西岸やガザに限らずどこでもセキュリティーが厳しいです。何年か前までは、ヨーロッパ諸国がイスラエルの国境や検問所の検査の厳しさを散々非難していたそうですが、最近ではヨーロッパ諸国から国境管理のメソッドを教えてほしいとの要請が絶えないそうです。まあ、対岸の火事である間は、皆、言いたいことが言えるし、理想も振りかざせますよね。

 

●なるほど、そういう理解のされ方をしているんですね。でも、イスラエルのガザでの圧倒的な軍事力の差、被害の差については、パレスチナ側はメディアに訴えるしかないんでしょうね。検問所も、非人道的な扱いを受けていると感じています。

 

◆軍事的に圧倒的な差があるというのは事実ですが、それはパレスチナイスラエルという局部を見た場合のみです。 裏には核開発のペルシャ=イランが控えていますし、複雑なアラブ諸国の関係が直接イスラエルに降りかかってきますから。 イスラエルは、パレスチナがイランに操られて石を投げてきたからと言って、同程度に立って石でやり返そうという発想にはならないのです。

 

●あー、なるほど。そういう見方なんですね。イスラエルパレスチナではない。周辺国も含めての戦いだと。それは建国以来、そうですよね。

 

ユダヤ人は、第二次世界大戦時代、自分たちを区別するための黄色い星のバッジを胸につけることを許していたら、大量虐殺された、というつらい記憶を持って、今も生きています。 ミサイルを投げ込まれ、それが民家に着弾する事実を目の前にして、「国際的な評価」を気にしている余裕はないのです。

大量虐殺で、ユダヤ人が得た一番の教訓は、自分の身は自分で守らなければならない、ということです。一番の反省点は、あの虐殺を許してしまった自分たちなのです。だから、もう絶対に「国際社会」を信用しない人たちなのです。それは、現在の国連が全く頼りにならないことも関係しています。

 

●なるほどですね。パレスチナ支援関係者は、イスラエルが、国連や国際社会が決めたことも守らない、国際法を違反している、と批判しますが。噛み合ってないことだらけですね。

 

イスラエルは「国際社会の評価」を全く気にしません。良い評価を得て虐殺されるか、悪い評価を得て生き残るか。彼らにとってはこの二者択一です。

 

●うー、うなるな。そういう思いになれば、「国際社会に関係なく、生き残る選択肢をするしかない」、となるわけですね。

 

イスラエルは「パレスチナ支援関係者」の意見は、よそ者の意見だと思っています。当事者であるパレスチナ人の意見を常に見ています。そうすると「イスラエルを海に叩き落とせ」 という感じなのです。ただ、イスラエルパレスチナ対立を語る時、イスラエル側につくと、プロパレスチナの人たちから嫌がらせされそうで怖いです。対立の根が深すぎて、絶望しかないですね。

 

パレスチナ側とイスラエル側のそれぞれの視点、正義がありますね。それを対比して分かるように文章に書いたりできないですかね。ひとつの答えはないと思うんです。ただ、事実はあるし、それぞれの思いも、心の中の事実としてある。間違えていても、認識は、それでその人の中では事実ですよね。

 

◆書いてみたいですね。なにかできないかと思います。どちらが正しい!とかでなく、お互いが、ああ、そういうふうに思ってるの?的な。難しいけど、お互いの「事実」を理解できたら、もう、大進歩ですよね。

 

●僕は既にパレスチナよりになっているけど、フレキシブルなのでね、良くも悪くも。

 

◆私はもう、完全イスラエルよりですよ…。何といっても、子供達の将来がかかっているので…。

 

●この件、普通の本や文章だと、ちょっと読んで立場が自分の側と違うと読まないですよね。

 

◆そうですね。苦しくなるので…。でも、この地域の問題を解決するには本当にフラットな目で物事を見ないといけないと思うのです。

 

●苦しくなるんですね。イスラエルの人は過去に苦しみ、現状にもある意味、罪悪感のような苦しみがあるんですかね。なんか、奥深いです。また少し分かったような、まだ全然分かってないと気付かされたような。

 

◆そうですね…。 罪悪感と、なぜそうならざるを得ないか…というような、物事の裏にあることが全く配慮されていない苦しみですかね…。

 

●僕はずっといる人じゃないから、苦しみという感覚は正直分からないです。

 

◆ずっとはいない人、だからこその視点ってあると思うのです。 本当は「国際社会の視点」ってすっごく重要なんですけどね。

私もあることに気付かされました。ちょっと長くなるので今は書きませんけれど…。

 

●なんだろ?また聞かせてください。

話していて、イスラエルパレスチナも、どこか思考停止しないとやっていけない立場におかれているのかもと、ふと思いました。長くなるので、今日はこの辺で。

【コラム】パレスチナ問題ざっくりまとめ (「ぼくの村は壁で囲まれた-パレスチナに生きる子どもたち」より)

分かりやすくて初心者におススメの「ぼくの村は壁で囲まれた-パレスチナに生きる子どもたち」に基づき、パレスチナ問題をざっくりまとめてみました。

https://bookmeter.com/books/11705255

細かくはもっといろいろな経緯があり、また異なる見解もあると思いますが、基本の理解として参考まで。

 

<1.パレスチナ問題の概要>

(1)パレスチナの難民

UNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)の登録人数は587万人(2017年)

地域別には、ヨルダン川西岸100万人、ガザ144万人

ヨルダン229万人、シリア62万人、レバノン53万人

70年もの間、故郷に帰れないでいる

 

(2)3つの「見えにくい暴力」

①チェックポイント(検問所)

西岸に140か所以上

イスラエル兵がパレスチナ人のIDと荷物の検査を行う

渋滞、学校や仕事に遅れる、救急車が止められる、事件で封鎖される

 

分離壁

全長700㎞、2002年から作られる

1948年第一次中東戦争後の停戦ライン=グリーンラインより、イスラエルが勝手にパレスチナ側に入り込んで広げて作っている

2004年国際司法裁判所分離壁は違法と判断

 

③入植地

パレスチナの地域にイスラエルが違法に居住地を作る

入植地として選ばれる場所は、水が豊富、軍事的に有利、エルサレム市周辺

 

<2.ヨルダン川西岸、ガザ、エルサレムの状況>

(1)ヨルダン川西岸の状況

1948年に大量の難民が流入

1993年のオスロ合意により、3つに区分された。

エリアA パレスチナが行政権と警察権 17% 人口の多い市街地

エリアB パレスチナが行政権、イスラエルが警察権 24% 大きな村

エリアC イスラエルが行政権と警察権 59% 入植地、郊外

イスラエルが約150カ所の入植地を作り、40万人近くが住んでいる。

 

(2)ガザの状況

1948年に大量の難民が流入

2005年にイスラエルの入植地とイスラエル軍が撤退

2006年にハマスが国会選挙で勝利すると、イスラエルはガザを完全に封鎖

2008年から2014年に3回戦争、イスラエル軍の侵攻で壊滅的な打撃を受ける

人口の半分以上が18歳以下、失業率43%、若者の失業率は60%超

1日1ドル程度の貧困ラインで暮らす家族が80%(2016年)

 

(3)エルサレムの状況

イスラエルパレスチナ地域のヨルダン川西岸の境界に位置する。

西エルサレムイスラエル、東エルサレムパレスチナ人の地域。

現在イスラエルが東エルサレムも自国領土に併合している。

1947年国連分割決議 エルサレムはどこにも属さない国際管理地域

1948年第一次中東戦争 東エルサレムはヨルダン領に。境界線をグリーンラインと呼ぶ

1967年第三次中東戦争 東エルサレムを含むヨルダン川西岸をイスラエルが占領

西岸から東エルサレムを切り離し、イスラエルが自国領土に併合

統一エルサレムとし、1980年にエルサレム全域を首都と宣言

占領地を領土に編入することは国際的に認められていない

それゆえ、各国はテルアビブに大使館を置く

イスラエルは、東エルサレムに入植地を作り、土地を買収。

パレスチナ人を追い出し、ユダヤ化を進めている。

 

<3.なぜパレスチナ問題は起こったか~難民発生とイスラエルの占領>

(1)シオニズム

ヨーロッパでのユダヤ教の差別運動に対し、

シオンの丘(聖地エルサレム)に帰ることを目指す運動

2000年以上前にユダヤ人の王国があったパレスチナ

1897年に第一回シオニスト会議、アウシュビッツより前の話

 

(2)イギリスの3枚舌外交

オスマン帝国が支配するパレスチナを手に入れたい英国

WWⅠ(1914~1918年)英仏ロシアが連合を組み、オスマン帝国、ドイツと戦う

①アラブ人にオスマン帝国に反乱を起こせばアラブ国家を作ることを約束

ユダヤ人にシオニズムへの支援を約束(1917年、バルフォア宣言

③フランス、ロシアと領土分割を約束(1916年、サイクス=ピコ協定)

 

(3)米国の移民制限

WWⅠで英仏ロシア側が勝利(1918年)、オスマン帝国崩壊

パレスチナはイギリスの統治下となった

未知の地に行くシオニズム運動は広がらなかった

1880年から1924年 パレスチナへの移住は15万人、アメリカへの移住は200万人超

しかし、年に米国で移民を制限する法律が決まり、別の行き先としてパレスチナ

 

(4)ナチスの台頭

1933年にドイツ・ナチスが政権を獲得

追放、迫害、撲滅作戦を展開。

ドイツ、ポーランド強制収容所などで600万人を殺害

ユダヤ系移民が増えたパレスチナで、ユダヤ人とパレスチナ人との間で紛争が激化

 

(5)国連のパレスチナ分割決議→パレスチナ地域の線引き

1947年11月 国連分割決議が可決

パレスチナ人は、人口の70%と、土地の90%を持つにも関わらず、44%しか土地を与えられなかった。

エルサレムはどこの国にも属さない国際管理地域とされた

 

(6)イスラエル建国と第一次中東戦争

イスラエルの領土拡大と、エジプト、ヨルダンによる支配

1948年5月 イスラエルの建国宣言

反発するエジプト、シリア、ヨルダン、イラクなどのアラブ連合軍が戦争

イスラエルが勝利し、国連分割協議時の56%から拡大し78%の土地を入手

ヨルダン川西岸はヨルダンが、ガザはエジプトが支配、アラブ諸国も自国権益の拡大を優先

この時の休戦協定で結ばれた軍事境界線グリーンライン

→現在も国際的なイスラエルパレスチナの境界線と考えられている

130万人いたパレスチナ人のうち、70万人が難民となる

 

(7)第三次中東戦争

イスラエルによるエルサレム、西岸、ガザの占領

1967年 第三次中東戦争

イスラエル軍がエジプト、シリア、ヨルダンの3か国に奇襲をしかけて6日間で勝利

ヨルダン川西岸をヨルダンから、ガザをエジプトから奪い、占領

エルサレム旧市街も占領し、ユダヤ人地区が作られた、嘆きの壁に行けるようになった

エジプト領のシナイ半島、シリア領のゴラン高原も占領

 

<4.占領後のパレスチナの抵抗と和平の進展>

(1)占領に対するパレスチナ人の抵抗=第一次インティファーダ(1987年~)

1967年の西岸、ガザの占領以降、20年大きな暴動はなかった

1987年 ガザでの事件をきっかけに第一次インティファーダ=民衆の抵抗運動

1993年まで続き、1000人以上のパレスチナ人が亡くなり、逮捕者は数万人

 

(2)イスラエル政府とパレスチナとの和平合意=オスロ合意

1993年 オスロ合意 ラビン首相とアラファトPLO議長

占領地である西岸をエリアA,B,Cに分け、ガザと西岸のエリアAをイスラエルからパレスチナに返還

1995年 ラビン首相暗殺←オスロ合意に不満なイスラエル人により

1996年 アラファトは初の大統領に選出され、ラマッラにて暫定自治を開始

 

(3)オスロ合意後のパレスチナ人の抵抗=第二次インティファーダ(2000年~)

2000年にシャロンが宮殿の丘を訪問し、ここはイスラエルのものとスピーチ

これをきっかけに第二次インティファーダ開始

2001年2月シャロンが首相に

2001年9月11日に米国テロ、イスラエルテロとの戦いを前面に、アラファトを軟禁

2002年イスラエルが都市に大規模侵攻、分離壁建設開始、パレスチナ人は自爆テロ

ジェニン難民キャンプでイスラエル軍による虐殺が行われる

2004年アラファト死亡

第二次インティファーダの犠牲者 パレスチナ側3000人以上、イスラエル側1000人

 

(4)ガザの3度の戦争

2008年から2014年まで3度のガザ戦争で、大規模の空襲と軍事侵攻

最大規模なのが2014年夏のガザ戦争 51日間

パレスチナ側 死者2251人、うち民間人1462人、そのうち子供551人

イスラエル側 死者72人、うち民間人6人

 

<4.3つの疑問>

(1)なぜ、ホロコースト犠牲の国がパレスチナ人を迫害するのか

シオニズム運動によりパレスチナへの移民が始まったのはホロコーストの40年前

シオニストは少数の急進派

シオニストナチスと協力して、経済的に豊かなユダヤ人をパレスチナに移送した

大戦後、イスラエルにきたホロコースト生還者にシオニストは冷淡で蔑んだ

ホロコーストを政治的に利用し、イスラエルホロコースト犠牲者の国とアピール

 

(2)イスラエル市民はなぜ攻撃を支持するのか

周囲をアラブ諸国に囲まれ、戦争に敗れるとユダヤ人が滅亡する恐れ

中東で唯一の核兵器保有

男性約3年、女性約2年の徴兵制、その後も45歳まで年1か月の予備役あり

ガザからのロケット弾や第二次インティファーダでの自爆テロの恐怖

占領地の状況に無関心

 

(3)米国はイスラエルを支持するのか

強力なユダヤロビー団体、資金力、影響力

ユダヤ人人口は600万人、米国人口の2%

 

<5.イスラエル国内の3つの分裂>

(1)ユダヤ人の中での宗教的な人と世俗的な人との分裂

8割が世俗的、正統派(宗教派)と超正統派が2割程度

超正統派は補助金を受け、徴兵も免除されてきた

 

 (2)民族グループの分裂

①主に東ヨーロッパから来たユダヤ人=アシュケナジー

  シオニズムの最初の移民、建国前から主導権、欧米の価値観で中東的なものを軽蔑

②中東、北アフリカ地域から来たユダヤ人=ミズラヒーム

  もともと差別はなかったが、イスラエル建国により風当たりが強くなり移民

  欧米的社会システムの中で社会的弱者

  パレスチナ人に非同情的

  兵士の最前線でパレスチナ人と戦った、仕事を奪い合う関係

③ロシア系移民

  ソ連崩壊後経済的理由で移民

  インテリ層が多くハイテク産業を支える

  人口の1割、100万人規模

  半分はユダヤ教徒でない

  多くはヘブライ語を学ばず、独自のコミュニティで生活、独自の政党を保有

エチオピアユダヤ

  最も差別されており、貧困層が多い

  ユダヤ系人口を増やすために1980年代以降に戦略的に移送された

  約13万5千人

 

(3)ユダヤ人とイスラエル国パレスチナ人との分裂

イスラエル国民の約2割、約160万人がイスラエル国パレスチナ人(アラブ人)

1948年のイスラエル建国時に逃げなかった人たちとその子孫

イスラエル市民権をもつが、二級市民として差別される

国土の32%しか住めない

徴兵はなし、銃の携帯も認められない

西岸やガザのパレスチナ人からは、イスラエルの恩恵を受ける存在とも見られる

 

<6.イスラエル政府発行のIDカードによる分類と行動制限>

(1)イスラエル国籍のユダヤ

イスラエル政府がIDを発給

居住権は、東エルサレムを含むイスラエル、および西岸の60%の土地(入植地)である

イスラエルパスポート

 

(2)イスラエル国籍のパレスチナ

イスラエル政府がIDを発給

居住地は、イスラエル国家の32%のみ

イスラエルパスポート

 

(3)東エルサレムパレスチナ

イスラエル政府がエルサレムIDを発給

イスラエル側もパレスチナ側も移動可能

居住は東エルサレムのみ

イスラエル国籍を持たず、海外に行く際はヨルダンがパスポートを発給

ただしヨルダン国籍も持てない、ヨルダンの居住は不可

 

(4)ヨルダン川西岸地区パレスチナ

パレスチナ自治政府イスラエル政府の許可を得て発行する西岸ID

西岸の中の40%で居住

イスラエル側に行くのに許可が必要で簡単でない、ガザには行けない

イスラエル国籍を持たず、海外に行く際はヨルダンがパスポートを発給

ただしヨルダン国籍も持てない、ヨルダンの居住は不可

 

(5)ガザ地区パレスチナ

パレスチナ自治政府イスラエル政府の許可を得て発行するガザID

ガザで居住、ガザ以外には住めない

ガザから出ることも困難

パスポートはなく、ガザから出るときは複雑な手続きを経て旅行証明書をもらう

 

(6)IDなしの人

親がイスラエルパレスチナ以外の国籍や、違う国で出生した場合

エルサレム在住者でIDをはく奪された場合

ガザや西岸のIDを発行されて一生不利な人生を送りたくないため申請しない場合

IDがないと、仕事、家を借りる、医療や教育を受ける、検問所を通ることができない

 

以上