ムスメはその後も順調に学校に通っている、
と書きたいところだけど、実はまだお腹が痛くなったり、気分が悪いと言って、学校を続けて休むことが時々ある。
休んだ日の昼は元気になり、自由に過ごしながら、翌朝になるとまた「おなかが痛い」、と言われると、正直いらっとしてしまう。そして、ついつい顔や態度に表して、そのあと、ぐっとこらえる。
いろいろやったけど、結局学校に続けていくようにはなかなかならないんだなあ、と徒労感も感じてしまう。
でも、学校に行かせたいという親の気持ちってなんだろう?
学校に行くのが普通だし、早く慣れたほうがいいから?自分もやりたいことができるから?たいそうな学費を払っていてもったいないから?
もしかして、毎日学校に行くことに無理があるんじゃないか。そして学校に行かずに家で勉強するのもありなのでは、と思い始めた。
そこで、学校を休んで家にいたある日、ついに禁断の扉を開けてしまった。
「もしかして学校つまんない?つまんないなら、体調悪くなくても、毎日学校行かなくてもいいよ。」と言ってみた。
これって、嫌なら理由なく学校を休んでいいよ、ということでもあり、なんか自分でも一線を越えてしまった感がある。
でも、まあムスメの前向きな気持ちを信じて、そう言ってみた。
学校を休みたいがために、その理由づくりに体調を無意識に自分から悪くしているんところもあるんじゃないか。だったら、体調悪くなくても行きたくなければいかなくていいよ、と言ったほうが、心身の健康にも良いと思い。
そうしたら、「学校が面白くないんだよね」、と堰をきったように話しはじめた。分からなくてもずっと座ってなきゃいけない、休み時間もそんなに面白くないと。
じゃあ、学校行かないでどうしようか、と話してみたら、どうしようって言っても、と答え、その日はそのままで話は終わった。
そして、次の日も学校に行かないことになった。
そこで、「休むなら家で勉強しようか、時間割でも決めて。」そう言うと、思いのほかムスメがのってきた。
今まで、休んだ日に、「YouTubeやゲームばっかりやってないで、漢字やったり、日記書いたりしたら」、と言ってもなかなかやってくれなかったのに。
で、まずは時間割を決めよう、という話になり、朝の会から始まる1日の時間割が決まった。
英語を多めに、というのが僕の要望。お絵描きをしたいからアートの時間を毎日入れて、というのがムスメの希望。
そして、今日は初日ということで、早速1時間目の漢字のドリルを始める。
自分で決めたせいか、そこそこ集中してやる。これは、親の精神衛生上もいい。
こっちの学校でできない日本の勉強が進むので、まあ休んでもいいか、という気持ちになる。休み続けて、英語も勉強も遅れていくことが親としては気になっているので。
アートの時間には、学校に名前をつけて、きれいに時間割を描こう、と促すと、こんなのを完成させた。
でも、これで毎日学校に行かずに家で勉強する、と言われても、こっちが困ってしまう。
ので、毎日家で勉強するのは無理だよ、パパも予定が入って出かけることもあるからね、とあわてて予防線を張る。
まあ、結局最後の英語の時間はお絵描きで終わってしまったけど、それなりに1日の時間割をこなす。途中の買い物時間の自習もいれて。
そして、夜、家に帰った妻に時間割を見せて、これで勉強したんだよ、と自慢げに話していた。やっぱり自分で主体的にやったことは、子供にとってうれしいことなんだなあ、とあらためて分かる。
でも、これで明日以降どうなることかと思ったら、翌日は学校に行った。
これから、またどれくらい休むか分からないけど、休んだら当面はこの時間割でやってみようと思う。そう思うと、親の気持ちも落ち着くものだ。
一方で学校以外の世界も少しずつ広げ始めた。
アクセサリー作りをやっている日本人女性がいて、一度家に遊びに行かせてもらうことになった。すると、大好きなビーズのネックレスだけでなく、石や本物の花や貝殻を使った本格的なアクセサリー作りをやらせてもらえた。
日本でも経験できなかった、ムスメにとってはまるで夢のような時間。
さらに、日本で習っていたピアノを習う場も見つかった。
学校で個人レッスンができると聞いていた。けど、学校で英語でピアノを習わせることが慣れるのによいのか、逆に子供の負担になるのか分からず迷っていた。
すると、音大出身でエルサレムで歌を歌い、ヘブライ大学で学んでいる近所の日本人女性がが、ピアノを教えられるという話を耳にした。
早速試しのレッスンをやり、日本から持ってきたピアノ練習の楽譜を使ってトルコ行進曲を教えてもらった。ムスメも気に入り、時々教えてもらうことになった。
学びの場は学校だけでもなく、親によるものも、周りの仲間によるもののある。
いろんな人と関わったり、教えてもらったりしながら、楽しく学び、創作して行けばよい。学校に行くとか、イスラエルにいるから、とかに関わらず。
ムスメが学校に行かなくなった件は、いろいろ考えさせられた。
そして、いろいろ考えた今のところの結論は、目標は「学校に行かせること」でなく、「この2年間ほどのエルサレムにいる時期を、子供も親もいかに有意義に過ごすか」ということである。
有意義というのは、楽しく、心身健康で、学び成長し、成果をあげる、ということもあるが、いろいろ壁にぶつかったり苦労しても、それが将来にとって良い経験になるならそれも良し。また、いろいろ考え、悩んだり踏みとどまる経験も、またそれも良し、ということかと思う。
思った以上に悩まされたけど、子供との関係、学校の意義、ここでの生活を考える機会になり、より深く考えることでより本質的に大事なことに向き合えることもできてきたと感じている。
一方、13歳の息子は、相変わらずマイペースでやっている。
学校の準備も宿題も自分でやって、学校でのことはあまり話さない。
家では、日本のテレビドラマや、お笑い番組をネットで見てひとりでニヤニヤしている。
熱心にノートに何か書いていると思ったら、好きな女優のリストとか、今まで見たドラマのリストだったり。
でも、実は日本に帰ってからの高校進学のことが結構気になっているらしく、何度か高校のこととここでの過ごし方については話をした。
今中1で、予定通りだと中3の夏に日本に戻って帰国子女枠を使って高校受験する予定だけど、「このままじゃあ英語も大してできないし、ほかの教科は明らかに遅れるからやばいんじゃないか」と言い出す。
うーん、今からそんなこと考えているのか、とちょっとびっくり。日本の友達とそんなことでも話しているのだろうか。
ムスコには、「高校のことが気になるのは分かるけど、まだ2年以上先だし、今エルサレムにいるってことは、人生においてとっても貴重なことなんだ、日本にいたら今のクラスメイトみたいに世界中の人と一緒に勉強する機会はない。別に友達になったり、いろいろ話さなくても、ここでは日本じゃあり得ないことがいろいろあって、その経験をしていることだけでも大きなこと。世界のニュースだって、日本にいた時より身近な話だし、そういうことをいろいろ学んでいるんだよ」、と話をした。
まあ、そうは言っても、現実に高校受験は気になるらしく、少しづつ経験者に教えてもらったりし始めた。でも、帰国子女枠も実際は直接話を聞かないと分からないらしく、来年の夏に日本に帰った時にでも学校訪問とかもしないといけないのかなあ、と思ったりしている。
最近、授業の英語で単語を全部調べても文章の意味が分からないんだよね、とか言い出し、珍しく一緒に英語の勉強をしたりもする。
そうすると、文章で関係代名詞とか、動名詞とか、不定詞とか、習っていない文法を使った文章が出てきて、文の構造自体が良く分からないようだった。
大体、いまだに曜日とか12か月とかも覚えたばかりで、過去形やら未来形も付け焼刃的にこの間習ったぐらいなのに、そんな文章を読んでちゃんと理解するほうが無茶なこと。
日本から持ってきた文法書も分かりずらく、自分で分かりやすく説明できず、YouTubeで分かりやすい動画を探したりしながら、勉強したりする。
でも、学ぶ意欲もそれなりにあるようで、一応安心。
これからは、エルサレムのこと、パレスチナのことにも触れる機会を少しづつ作り、ここでこそ考えさせられることも学んでいけたらなと思っている。